2006年6月16日(金)
いざ出発だ!
雨足は次第に強くなってきた。サクランボ、全部落っこってしまってはいないだろうか?しかし、もちろん行くしかない。
8:15。予定よりもやや早く出発。車の中での朝食にと、クンクンの大好きなミスター・ドーナッツを準備しておいた。 朝ゴハンなんか家で食べていたら遅れっちゃいますからね。クンクンは快適にシートに収まった。
8:45。常磐自動車道へ。よしっ。9時に間に合った。
常磐自動車道へ入るが
まるで前が見えないなぁ
マジ見えないぞよ。どーすんの?
さらに雨は強くなり、これハッキリ言って豪雨。高速は50キロ規制だし、トンネルの中では車がスピンして事故っているし(ヒー)、前はまるで見えないし・・・こんなことで、サクランボ狩りなんて出来るのだろうか?
いやな予感がみけねこの脳裏をよぎった。しかし、クンクンはご機嫌でドーナツを食べていた。
差塩PAで休憩
いわき三和ICでUターン
9:40。いわきJCTから磐越自動車道へ。ここで、最初のインターであるいわき三和ICでいったん高速を降りる。
そう・・・朝の”ETC通勤割引”を狙ったのである。(1) 6〜9時までの時間帯に高速に入るか出るかして、(2) 走行距離が100キロ以内であった場合は、高速料金が半額になるのだ。少しでも節約しなくちゃね。もちろんすぐに、Uターンし磐越自動車道へ戻る。そこでクンクンが暴れ出す。せっかくどこかで休憩してくれると思っていたのに、また高速に戻っちゃったため、怒っちゃったみたい・・・もうちょっとだけ待ってね。
10:00。トイレしかない差塩PAへ。トイレの前の屋根の下の狭い場所で、少しだけ身体を伸ばす。そこも地面を強く打ち付ける水しぶきが結構かかるのだ。快適なのはトイレの中だけ。でも、トイレの中で休憩ってのもね。
どうやらここは、とても長くいられる場所じゃないぞ。
ン?
アイスっアイスっ(みてみて)
ペロペロ
10:30。阿武隈SAへ。ここは、磐越自動車道でも大きなSAだ。
ここの売店でクンクンは大きなソフトクリームを発見す。満面の笑みでやっぱやりおった〜!売店のお姉さんが笑って見ていた。11:00。郡山JCTから東北自動車道へ。空が破れるほどに降っていた大雨も、やや普通の雨になった感じだ。いつの間にか、50キロ規制も80キロ規制に緩和されている。規制緩和といっても小泉改革と関係はない。規制緩和の弊害もいろいろ出てきたが、こういう規制緩和は歓迎なのだ。
11:30。安達太良SAへ。ここで、フランクフルトソーセージを買う。クンクンはパクパクと一本丸ごと食べてしまった。これでクンクンのご機嫌は回復す。ボクタチはこれからのサクランボのことを考えて我慢がまん。ここで我慢出来るかによって、高価なサクランボ狩り代の元が取れるかどうかの分かれ目となるのだ。
山形自動車道はガラガラ
天童ICより下界へ
12:30。村田JCTから山形自動車道へ。坂は多いが、車が少なくてとても走りやすい道。そういえば、東北自動車道も珍しく車が少なかったが、これは豪雨のせいだったのだろうか?小降りになった雨は次第にあがってきたが、分厚い雲はまだ空を覆っている。
でも──上々上々。正直、あの豪雨ではどうしようかと思っていましたもの。晴れることまで期待するのは、バチがあたるってモンでしょう。12:55。山形JCTから東北中央道へ。いつもならこの先の寒河江ICまで乗るのだが、気まぐれでソチラから行ってみることにした。実は、距離も料金も寒河江ICで降りるのと変わらないのである。
13:00。天童ICよりようやく下界へ。距離(高速道路)にして約300キロの走行だった。
県道23号線を真っ直ぐ走り、最上川にかかる村山橋を渡りきったところで、左折。土手の上をドテドテと2キロくらい走る。やがて、車が数台駐まっていて、赤い幟が立っている場所、ここが『最上川観光さくらんぼ園』 だ。今回は特別に行き方の写真を掲載するとしよう。
村山橋へ
橋を過ぎたらすぐ左折
土手(左だ)の上をヒタ走る
あそこじゃ!
ここ『最上川観光さくらんぼ園』 (右の看板だと、”最上川さくらんぼ観光園”ですね)は、もう三度目の連続訪問記録となる。
実は、JA(チェリーランドの紹介所)を通さずに、直接『最上川観光さくらんぼ園』に来ると、1,200円の料金がビックリお正月価格1,100円となるのだ。『最上川観光さくらんぼ園』万歳!万歳!万々歳!
いえいえ、ボクは森永じゃなかった、『最上川観光さくらんぼ園』の回し者では決してありませんが、こうも毎回毎回『最上川観光さくらんぼ園』のことを詳しく説明しているってのも、 読者の皆さまにとっては確かに、ナンナンじゃないの?と思われるかも知れませんねぇ。それにネットで、『最上川観光さくらんぼ園』と検索してみると、(この間までは)みけねこサクランボ隊の記録しか出てきませんし。
おそらく、この記録を読んで「そのステキな『最上川観光さくらんぼ園』に行ってみようかしら?ウフフ。それともヨソにしようかしら?」と思ってくださる方も相当いるかもしれ ません・・・と言うワケで、来年また『最上川観光さくらんぼ園』行った時、「オレたちゃ、みけねこサクランボ隊のモンじゃ。オラオラ」と言えば、『最上川観光さくらんぼ園』は料金を1,000円にしてくれるに違いない(かも知れない)。
13:00。到着。長い苦行から解放されたクンクンは、土手の上でヒュンヒュンとジャンプした。(ここは土手に車を駐めるのだが、まさか駐車監視員がこんなトコにまで違反切符を切りに来ないでしょうな?)
土手に車を、ジャンプ!
ここを下るのだ
出荷作業中だった
この奥は!
小錦じゃなかった佐藤錦
トコトコトコ
結局これ ナポちゃんだ。まだ色が
土手の階段を下り、路地の奥を進む。ここじゃっ!お金を(予定どおり)一人1,100円払って入場。クンクンは幼児のため無料である。 どちらにしても、クンクンはサクランボは三度のハミガキよりも 大キライなのだった。
ここのオバサンによると、今年はサクランボの生育は例年より遅く、現時点では佐藤錦は絶望的だそうである。ヒーン。後、一週間遅く来れば良かった。 しかも、昨日雨が降ったため、サクランボのお味が水っぽくなっているとのこと。ヒヒーン!とは言われながらも、ちゃんと熟したのを選んで食べれば充分美味しかった。”佐藤錦”はそろそろ。ちょっと味の落ちる”紅さやか”は食べ頃。”紅秀峰”と”ナポレオン”はまだまだ。
「クンクンちゃ〜ん」ママは猫なで声を出した。「サクランボ食べてみる?甘〜いの」
ダマされたクンクンは、口の中に無理矢理サクランボを押し込まれたがすぐに、大嫌いなサクランボと知って、ペッとはき出した。
その後、黄色い(熟していない)サクランボをもぎっては、ママとパパにさんざん喰わせたのであった。ひー。しかし──暑かった。梅雨の時期で、雨が降っているにもかかわらず、何故かここまでくるといつだって雨は降っていないのは、不思議なくらいにありがたかったが、暑い。
クンクンは早々に休憩モードとなり、大好きな野菜ジュースとサラダクラッカーを食べ出したが、ボクタチは必死でサクランボを食べ続けた・・・でも、もう無理。限界がいつになく早い。14:15。『最上川観光さくらんぼ園』を後にする。1時間は喰ったかな?
14:40。 途中途中、サクランボ売店などをノゾキつつ、”道の駅寒河江チェリーランド”に到着。
ここチェリーランドは、平成4年5月オープン(道の駅に登録は平成5年4月)の道の駅。あまりネットではPRしていないが、いつも観光客の車や観光バスで大混雑なので、これ以上PRする必要はまったくなしと市役所は考えているのかも 知れない。観光施設も度が過ぎると、逆に市民にとっては迷惑施設となってしまうものだ。ここで、クンクンのおむつを替えたり、お土産を見たりする。ここも何故か、毎年寄っちゃうなぁ。
そうそう。ここから電話をして、今夜の超豪華ホテルの支配人に、予定していた4時頃チェックインは無理そうなので、5時半くらいになりそうだと電話しておいた。セレブというものは、下々の者に対してこのような気配りを忘れないものなのである。お分かりであろうか...逆に、コンビニなどで、ニッカポッカを履いたニキビ面の若者が、自分の父親くらいの歳の店員さんを相手に威張り散らしていたりするのは、まこと。不思議なことではないだろうか?
胸にキュンとくるお土産は見つからず、結局、クンクンのおむつを替えただけだった。15:10。チェリーランドを後にする。天童ICへ向かう途中(村山橋の手前で)、サクランボのお土産を見に、”ひでちゃんファーム”の直売店へ。箱入りのサクランボは、ここ本場でもかなり高い。いや、本場の方が ちと高いかもしれないが、地方のスーパーにやってくるサクランボより味は全然上なのだ。よく、スーパーで売っているサクランボのサンキュッパのパック(「ナントカの○人」とか印字していますな)の 味なんか、すっぱくて(もちろん、高いのに比べたらですゾ)梅干しに等しいのである。
二本松ICで降りて
豪華ホテルの車を追跡
ヒマラヤ通りが!
東北中央道から山形自動車道へ。山形自動車道から東北自動車道へ。遠いのう・・・またしても雨がシャバシャバ降ってきた。
17:00。二本松ICから下界へと降りる。目の前にノロッちいハッチバックの車が走っている追い越したれと思ったら、我が豪華ホテルの車であった。これは失礼いたした。よし。しばらく、この車の後をつけて...
17:15。”ヒマラヤ通り”が目の前に現れた。なぜこんなネーミングにしたかは地元の人しか知らぬ秘中の秘なのだろうと思うが、一つだけ言えることは、ここはヒマラヤ山脈にゃ似ても似つかないってことだ!。
ついに──今夜泊まる岳温泉に到着!
本来ならば、ヒマラヤ通りを闊歩して岳温泉の神髄に触れたかったのだが...時間も遅く、しかも小雨までチロチロ降っておる。無念だが、そのまま超豪華ホテルに直行だ。
陽日の郷あづま館
あの裸婦像がセレブっぽくね?
ラウンジ
ボクタチの部屋は?
かの豪華ホテルは、岳温泉にその人・・・じゃなかった、そのホテルありとうたわれた『陽日の郷あづま館』。申し込んだプランは、「ママの悩みを解決!すくすくBABYプラン」。 このプランのネーミングセンス、なかなかでしょう?
大人二名と三歳までのお子様一名の平日限定プランで、離乳食他、料理長特選のお子様メニューや、普通なら50分2,100円の貸切露天風呂「湯小屋」が無料サービス。
すげえっ!部屋食プランもあったが、料金が我が家の資産では分不相応と考えられたため、お安い会場食プランを選ぶこととなった。三人合わせて23,800円也。これならなんとか!・・・というワケで、わざわざ寒河江から遠くここまで南下したというわけなのだ。
グイグイグーイ
できたらハイポーズ♪
玄関前まで乗り入れると、さっそくパルパル号のキーを没収されてしまった。これじゃ、食い逃げが出来ないある。ひどいある。
仲居さんの案内で、豪華な1階ロビーからエレベータで2階へ。そこから長い長い廊下を歩いて、またエレベータで5階へ。ボクタチの部屋は、本館の東扇って建物にあるのだが、先へ進むにつれ、建物の様子はどんどん安っぽく古めかしくなっていった。三人合わせて23,800円ですからなぁ。それも税込みで。
部屋の中はフム。12畳かな?築年の古さは隠しきれないが、非常に綺麗に清掃されている。クンクンは大いに喜んで、座椅子をグイグイ押したり、テーブルの回りをグルグル走り回り、椅子に座ってポーズをとったり。
窓から見える景色は、立ち並んだホテルホテルホテル!三人合わせて23,800円の景色ですから贅沢は言えん。これで文句を言ったら最近の日本人気質となりつつあるクレーマー。窓があるだけでも、ありがたいと心から感謝すべきなのである。
窓から見ゆるホテル群に、次第に陰が落ちていく。空には瞬くインチキの星が...ン?そんなことより、メシだメシ。ゴハンを食べに行きましょう!
さて、──さもあらんと想像していたのは、大広間にお膳が隙間無く並べられたあの光景だ。ヨッパライのオジサンが浴衣をはだけてヒィヒィ言いながら裸踊りをしたり、仲居さんにチークダンスを強要しているアレじゃ。
ゲー!ごっ豪華
またイスを押してるし
高そうな壺。さわっちゃダメー!
ごちそーさま
しかし案内されたのは小綺麗(いや、大綺麗と云うべきである)な広い個室。ウチらの23,800円の部屋より、全然いいゾヨ。いいねこれ。どーせなら、こっちに泊まりてぇ!
右の扉へ
ノリ気のクンクン
おっきいおふろ
お料理は、すんごく美味しかった。上の料理の写真の後も、次から次へと追加が出てきて、フカヒレの姿似とタケノコご飯がこれ以上食べられなかったことが我が一生の不覚である。
国見SAで、ついついカレーパンを買い喰いしてしまったのが失敗の元だった。20:00。貸切露天風呂『湯小屋』へ。もちろん前もって、この一番いい時間帯を予約しておいたのである。
クンクンは「おっきいおふろっおっきいおふろ」とノリノリである。普段でもお風呂が大好きで、あまりに長時間のため、いつもパパは茹だっちゃうのだ。クンクンは、ちょっぴり温泉につかって、その後は洗い場で長い間遊んだ。そういえば、おうちのお風呂でもそうなんですけどね。岳温泉の源泉は、鉄山の南面下の”くろがね小屋”付近の沸き出し口十カ所(毎分900リットル、泉温は摂氏60〜98度)から管によって、東方8キロの距離をここ岳温泉まで引湯されている。
[岳温泉の歴史]
貞観五年(863年)。文献に温泉に関する記載(小結温泉神に従五位下を贈位)があり、この温泉の存在自体は知られてはいたようだ。
明応五年(1496年)には、狩人が温泉を発見し、”陽日温泉”と称したと文献にある。この”陽日温泉”が岳温泉の古名であり、江戸時代は全国的に著名な湯治場として大いに賑わった。
文政七年(1824年)。鉄山の一角が崩壊し、大規模な山津波が温泉街を襲った。この災害により、二百数十名が死傷。”陽日温泉”は壊滅した。
翌八年(1825年)、人々は、旧・陽日温泉から塩沢十文字岳の麓まで引き湯し、”十文字岳温泉”と名付けて再興。死者累々であった”陽日温泉”跡地では、再建がためらわれたのであろう。
明治元年(1868年)。戊辰戦争の戦火により、”十文字岳温泉”は全焼。
明治三年(1870年)。あきらめない人々は、深堀まで引き湯して、”深堀温泉”として再興したが、明治三十六年(1903年)、”深堀温泉”は大火により全焼。
明治三十九年(1906年)。人々は、現在の地に引き湯して”岳温泉”として再興。もうヤケになって再興し続けたという気もするが、それにしても不屈の精神と讃えるべきだろう。最初の”陽日温泉”以外は引き湯なので、そう遠くなければどこにでも再興出来たという事情もあるんだろうが──温泉(湯治場)というものは、昔も今も、それだけ魅力的な産業なのかも知れぬ。
それぞれの温泉跡を尋ね歩くのも楽しそうだが...それは、他の人にまかせよう。今回のみけねこサクランボ隊には、ちょっと無理だ。
2006年6月17日(土)
男湯は左ですな
内湯
露天風呂へ
6:15。なぜか目が覚める。
普段の夜更かしで慢性的に朝に弱いボクが・・・もしかしてクンクンにガブリと噛みつかれたのだろうか?──と思ったら、さらに目覚めのよかった彼女が大浴場から戻ってきたのだった。悔しいからボクも行ってくるとしよう。迷路のような長い距離を歩いて、大浴場へ。
フー。朝の温泉は、やっぱり気持ちいい。オシッコでちゃう!(出さないケド)
7:30。お目覚めのクンクンを連れて、朝食のバイキング会場へ。あ〜。美味しい! 特にイモがうまいっ。我が家では普段、あまりウマイものを喰い慣れていないから、ため息をつきながら、思いっきり食べてしまった。
9:30。出発。
『陽日の郷あづま館』は、とても気に入った。来年はクンクンは三歳になるが、「ママの悩みを解決!すくすくBABYプラン」は、来年までなら大丈夫ですし。また来年、(本気で)来ようかなぁ?
営業時間 8:00〜17:00(11月中旬〜2月は16:00まで) 休業日 なし 入場料 入園料:大人2,600円
子供(3歳〜小学生)1,600円住 所 福島県二本松市塩沢温泉
0243-24-2336交 通 二本松駅より塩沢温泉行きバス20分「東北サファリパーク前」下車
東北自動車道二本松インター下車15分駐車場 無料400台 園内図 コチラ 9:40。ホテルからほんの10分ほどで、本日のメインイベントである『東北サファリパーク』入場口に到着。早っ!実はそもそも、岳温泉に泊まろうと考えたのも、ここサファリパークに近かったから という理由にもよる。
サファリパークの入場料は、大人一人2,600円(車単位ではないので注意)と巨額であるが、前もってネットで1割引券を印刷して持ってきているのだ。ドライブスルー方式っぽい入場口へ車を進める。オジサンがノコノコやってきて、クンクンを鋭い目で見つめた。
「お子さんは何歳ですか?」
「二歳です」
オジサンは、がっかりした様子。ここの小人料金は三歳児からシッカリ1,600円も取るのである。めげずにオジサンはこう続けた。
「代車はどうですか?」
「代車ってなんですか?」
「千円で借りることが出来ます。自分の車で入場すると、キリンになめられたりします。それに動物に車を傷つけられても補償しません」
「いえ結構です」(そんときゃそんときである。それに、無駄に出来るお金なんて我が家にはないのじゃ)
さらにオジサンは二袋のエサ(中身はビスケット)を持ち出してこう聞いた。
「動物のエサはいかがですか?」
「一袋だけお願いします」(近くの看板に一袋千円!と書いてあったのに気づいて間に合った)最後にオジサンは、こちらに尋ねもせずに勝手に車の窓のトコに”園内ガイドラジオ”を取り付けてくれたのである。(その時は、入場料は高いけど、その分サービスはなかなかいいね〜と感心したのだが、後でレシートを見て、ラジオの貸出料金500円までもがシッカリ取られていたことに気づいた)
それにしても、こうも高いのでは、エンジンルームの中に2・3人隠れて入っちゃう車もいるかも知れない。よしっ。パルパル号発進せよ!キリンになめられねばいいが。
期待に胸は高鳴る。
登っていく坂道は、どこの田舎にもありそうな景色だ。しかし待て、あの一風変わった看板を見よ!あれを見ると、期待に胸が高鳴ってくるような気がする。
さっそく右手の柵の奥にカバがいる(ようだ)。よく見えないが。スゲー!カバだバカだ!ボクタチは興奮した。さらに行くと、格子柵の奥にラマが草をはんでいた。たぶんあれはラマだろう。ラマ僧のような沈痛な面持ちである。ウォオオ!頑丈な檻の中には雪ヒョウやカナダ生まれの白オオカミ(奥の方に寝ていたのでよく見えなかった)。ホントにホントにホントにホントにオオカミだ。近すぎちゃってどーしよ。
格子の檻の奥にチラリと見えるツルに似た白いトリ(サギかな?)。ヌオオオオ・・・さすがサファリパーク。フッジー!サファリパァ〜〜ク!スゲー!スゲーぜ!すごすぎ・・・・・・ンン!?
──全然近くないですし、どちらかと云うと、『遠すぎちゃってどーしよ』って感じィ。
(役立たずのラジオが何かガーガーとがなり立てているが、ナニ言ってるのやら聞き取れない。この文を読んだ皆さん。大枚500円も踏んだくられる”ガイダンスラジオ”にはくれぐれもお気をつけあれ!)
それにつけてもこの道。看板だの幟だのが馬鹿に多いのだが、その看板の絵がやけに気になるのだ。
後で知った話だが、この看板群は、サファリパークの一人の従業員さんがセッセと描いたものらしい。ウーム。特に『いのしし曲芸』の絵(サッカーボールを前足でいじってるよーだ)などは天才的ですよね?ルノアールが描いたものだと聞かされれば、誰だってそうかなって思っちゃうでしょ?でも、レッサーパンダの絵は違うかな。これだけちと芸術性に欠けますな。「ガーガーガー!」(それにしてもあー。ラジオがうっさい)
ゲートが開く
その先には何が?
またもゲートが
奥に何かいる!
──やはりそうだった(ヘンだと思ったんだ)。今までのはほんの序章。
眼前の巨大なゲートが動き出した・・・ゴゴゴゴゴゴゴ・・・タイガーパーク入口。立て札にこう書いてある。
『忠告 トラ、ライオンセクション内で車から絶対に降りないこと。車の窓を開けないこと。右、厳重に注意する。園長』
なかなか雰囲気を盛り上げる文章じゃありませんか。トラさんやライオンさんにエサをやる時は、(車からは降りないで)車のドアを開けてやらなければなるまいと、ボクタチは肝に銘じた。
しばらく走ると、またゲート。こちらは厳重にも二重のゲートになっている。しかして、その先には?
ラ・ライオンだァ!
しかもゴロゴロと・・・
こんな近くにィ
パルパル号はおそるおそるなだらかな丘を登っていった。パルパル号はネズミ系なので、ネコ系はニガテなのだ。
ン?右手だ。右手奥に、黄色いのがいるっ!なんだっピー?(ホントは知ってますけど)
うわっ。ギャーーー
ホントにホントにホントにホントに ライオンだーっ!
近すぎちゃってどうしよう!
かわいくって・・・
どーうしよう!可愛くってどうしようと悩むほど可愛くはないが(どちらかと言うと恐ろしい)、あんなのに襲われたら、一(イチ)殺(コロ)ですな。パルパル号のチョパム装甲も紙のようにバリバリ破られてしまうだろう。松島トモ子なんか、あんな恐ろしい怪物に襲われて、よくミネラル麦茶なんか飲めたもんである。
次なるゲートだ
うわっ。来た
すっごくキター
やがて、次なるゲートが現れた。なんかヘンなのがいっぱい待ちかまえている。
ゲートが開いた途端、キャツラはライオンエリアにどっと進入して、パルパル号を取り囲んだ。ゲー!ライオンに喰われても知らないぞっと。連中を引かないように、パルパル号をそっと走らせる。走りずれー。
キリンも来おった。予想どおりヨダレがすごい。クンクンは例の大枚千円のエサを動物たちにやるが...なんか話にならない状態。ゾウにやるエサを落としたら、ゾウは激怒してもの凄い鼻息を吹きかけた。逃げろ〜
シマウマが追いかけてきた。道をバッファローが通せんぼしている。崖側からよけるべきか、ドロドロの内側からよけるべきか・・・命には替えられん。ドロドロの方だ!前から馬だか鹿だかわからないのが迫ってくる。後ろからもイロイロやって来るし。
ヨダレキリン
クレクレ厨ども
クンクンもこわごわ〜
ブオー(怒)
シマウマが追ってきた
ひぃ!またヨダレが
哲人の如きバッファロー
馬だ鹿だ
あっ。我が愛車に何しとんねン!
で・・出口だ
ついに連中。エサくれエサくれと、パルパル号をヒヅメで叩き始めた。逃げろ〜。ここの動物たちは相当飢えていて、ライオンより凶暴である。ゆっくりと車を止めて見たいが、そしたら車が囲まれてしまうし、走ったら走ったで走行妨害しながら追ってくるし・・・緊張で掌が汗ばんでしまった。
出口だ!途中、入場口で千円で売っていたエサ袋がなんと500円で売られていたが、結局、最初の一袋も使い切れず。さて、パルパル号の傷が気になるところである。
そういや、トラはどこにいたんだろう?憎っくきラジオガイドは、モニョモニョ言っていたが、よく聞き取れなかったですし。
ふれあい楽園へGo
大駐車場に車を駐めて調べると、パルパル号の負傷は、かすかな引っ掻き傷とポツポツとついた汚れだけだと分かった。あれだけ蹄でバシバシやられ、ナメナメされてもパルパル号のチョバムアーマーは見事耐えきった。しかし、昨日買ったばかりの新車のディアブロでサファリパークに行こうと考えている人は、出来れば千円の代車を借りた方が宜しいかも知れませんナ。サファリパークはウハウハ喜びますし。
パルパル号を駐めた場所のすぐ近くに「無料」と大きく書いてあった建物『さると鳥のふれあい楽園』に入ってみることにした。サルなんかどこにでもいるものですが、これから『大恐竜館』やビッグな各種ショーを見る前のちょっとした前菜に宜しいでしょう。
入口でサルのエサを売っているようだ・・・というか、ありとあらゆる箇所に、サルのエサ500円と書かれた張り紙があって、気づかない方が難しそうだ。エサ代の500円は、サルごときにゃ高いというものですが、クンクンの喜ぶ顔を見るため仕方ないなァ。
「エサください」500円玉を受付のオバサンに渡すと、オバサンはニコヤカに、広げた新聞紙の下から小さなエサのカップを出してくれた。ウウ・・・こっこれで、500円!小さなカップにチッチャな角切りリンゴが10粒くらい入ってた。
みけねこがサファリパークの社長だったら、「お客さんに(カネをもらう前は)絶対見られないように、新聞紙でも上にのせておくんだぞ。ウォッホン!」と、従業員に指示するだろうなと思ったくらい、貧素だなエサだと思われた。(親指の太さと角切りリンゴの粒の大きさとを比べていただきたい)...中に入ると、サルどもがいっせいに群がってきた。ワオキツネザルたちは肩や頭に乗ってエサをねだる。可愛いけど、ヒー。小さなエサはあっという間に食い尽くされてしまった。しかし見よ。中でもエサはちゃんと売っているのである。なんと300円で・・・。これはサファリパーク商法とも呼ぶべき心憎いばかりツボを押さえた商法である。これを読んだ皆さん、エサは中に入ってから買うべし。でも、エサ代は高かったけどここ、なかなか面白かった。
・・
ふれあい入口『さると鳥のふれあい楽園』の並びに『ふれあい入口』と書かれたコーナーの中には、ウサギが何羽かおった。エサの自動販売機は忘れずにあったものの・・・狭いし、ウサギのウンコはコロコロ転がっているし、どこにでもあるし。ここは 、わざわざ入らなくていいだろう。
動く大恐竜館(入口左側は売店) フラミンゴショー・サル劇場・いのしし曲芸
気をとりなおして、次は『動く大恐竜館』に行ってみた。
「なんでも、動物愛護協会大喜びのパンダの剥製もあるらしいヨ」と元気よくしゃべりながら建物脇の入口まで行ったボクタチ...トタン造りのこの建物。500円も入場料を取ると云うし、なんとなくお化け屋敷の気配もほのかに漂う。つまり、ボクタチは500円の入場料が急に惜しくなってしまったのである。
「ヨッシャ。ショーを見に行こう。ショーほどステキな商売はない。いのしし曲芸がいいネ!やっぱシ」しかし...高い。それぞれのショーにそれぞれのお値段がついている(それがまた結構高いのだ)し。クンクンも疲れているようですし、我が家の家計はさらに疲れておる。やっぱりいいかな?
東北サファリパークの社訓は次のとおりだそうである。
頭を使って知恵を出せ
知恵を出せない者は体を使って汗を出せ
汗も出せない者は
サファリグループから黙って去れすばらしい。どこの経営者だって、正直そう思っていてもハッキリとは出せないモンである。なかなかの大人物とみた。
サファリパークの社長は一大革命児として、様々な事業を成功(不人気のラブホテルを買収し、カップルがコッソリ出入り用の裏の進入路を舗装させ大繁盛させたとか武勇談が多いらしい)させた有名人なのだが、この社訓はどっちかと云うとイエスマン向きであり、本当に優秀な人はパスしちゃうんじゃないかなぁ?たぶん。どうなんでしょ?みけねこも就職先を探すとしたら、富士サファリパークにしよっと(雇ってくれるならネ)。
『動く大恐竜館』には、動物たちの剥製が所狭しと並んでいるらしいが、死んで役に立たなくなった動物は皮や骨を出したのかも知れない。
ようやく、タダで見られそうなところを発見。その名も高き『ホワイトコーナー』である。やったね!”タダ”ってのは実に新鮮な言葉の響きじゃありませんか。
ここタダだよタダ!
ホワイトライオン
ホワイトタイガー
ホワイトフクロウ
ホワイトポチ
ホワイトゼブラ
まず、ライオンホワイトじゃなかった、ホワイトライオン。ホントにホントにホントにホントに・・・(シツコイ)
えっ?写真のどこが白いのかって。よーく見たまえ・・・ホラ。白いような気がしてきたでしょう?白すぎちゃって、どーしよーって感じである。看板の説明によれば、1975年に南アフリカで野生のライオンの群れの中にいたのが発見され、1986年にその子供達がサファリパークへ。 ジャングル大帝のなれの果てがここにいる。次なるはホワイトタイガーだ。コイツは文句なくシロだ。百獣の王はライオンだが、トラの方が風格があるように思う。
さらに次はホワイトフクロウ。なかなかカワイイやつである。
その次はホワイトポチである。クンクンは「ポチポチ」と呼んだ。我が家のお隣にこれそっくりのスピッツ(名前はポチ)がいるためだ。しかし、サファリパークのポチの種別はタヌキ科。そっくりだが、お隣のポチとはちょっと違うと思う。
最後は、ホワイトゼブラである。全部白かったら、もうゼブラとは云えない(白馬となってしまう)のではないかと心配されたが、薄い茶色のスジはなんとか残っていてセーフである。
その他、ホワイト白鳥やホワイト白熊、ホワイト山羊もいるかも思って探してみたが、ここにはいなかった。
ところで、サファリ入口のトコで紹介したこの看板。覚えておられるだろうか?
『特別展示中 テレビや新聞でも人気急上昇! 日本で大人気 二本足で立って歩く レッサーパンダ』と書いてあったアレだ。それがいたよ...いましたよ、オイ。しかもレッサーパンダのやつ、看板とまったく同じ格好をしているという律儀さだ。
しばらく見守っていたが、剥製のようにピクリとも動かなかった。正確には、よりかかっていたので二本足で立っているのを見たとは証言出来ない。いよいよ帰ろうとした時。ン?あの赤い建物は何だろう?
近寄ってみると、削り取ろうとした『男女の館秘宝館』という文字が薄く残っている。いい名だ・・・
かつて、日本全国にあった秘宝館が今、絶滅の危機に瀕している。ネットなどで簡単にモロ画像や動画を見ることが出来るようになったためだ。そして、残された数少ない秘宝館の中でも、ここ東北サファリパークの「男女の館 秘宝館」は、特に趣深いものとして、その道の人に絶賛されていた。なかんずく、天才画家であるあの従業員さんが、この秘宝館でもその天才ぶりを遺憾なく発揮し、最大のライフワークである四十八手を描く途中、描く際のの無理な姿勢がたたって腰を痛め、途中で断念したとのこと。どうです?これを聞いただけでも、皆さん見たくなっちゃうでしょう?
それがなぜ廃屋となってしまったのか?
今年2月、ある驚愕した入場客が「衣服を着用していない男女の写真が秘宝館の壁に展示されている」と警察に通報。5月。サファリパーク社長と、社員二名が猥褻図画陳列の疑いで逮捕されてしまったのである。嗚呼・・・それにしても、わざわざ「秘宝館」に入場料を払って入りながら、通報する客のカマトトぶりこそ驚愕に値すると思われた。もしかして、おしべとめしべの写真が展示してある場所だと思って入ったのだろうか?
かくして、レッドページとも言うべき希少な文化財がまたひとつ消えたのであった。
ホワイトゼブラ
白カンガルー(なぜこれだけ白?)
ホワイトロバ
社長はともかく、逮捕された従業員って、まさかあの天才画家ではないでしょうね。急に心配になってしまった。
11:00。もうそろそろかな?画伯の傑作でも見ながら退散するとしよう。
ここはお金持ち向きのパークだが、なかなか面白かった。クンクンにはまだ早かったかな?何年かしたら、また来るのもいいね。その時には、秘宝館が復活していることを、そして画伯の給料がアップすることを願おう。
最後にあの役立たずのガイドラジオを返して、ボクタチは『東北サファリパーク』を後にしたのだった。
昨日の荒天とはうってかわって、抜けるような空の色だ。
このあたりは、高村光太郎の妻・知恵子の古里だ。若くして病没したように思われがちな知恵子だが、彼女の没年齢は五十二歳。それを知った時、また不思議な感動を感じた。
貧しい生活と知恵子の病に苦しんだ二人だったが、『知恵子抄』にはこんな一節がある。
智恵子は東京に空がないといふ
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山の山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとうの空だといふ。
あどけない空の話である。梅雨の合間。こんなにも空は晴れ渡っていた。
これが智恵子の言う『ほんとうの空』なのだろうか?
たぶん、そうなのだろう。『新・みけねこサクランボ隊の逆襲』の冒険はこれで終わる。パルパル号は一路南下していった。クンクンは・・・帰りのSAでまたもやアイスクリームをペロペロしていた。
みけねこサクランボ隊の巻 2001.06.30 みけねこサクランボ隊リターンズ 2002.06.15 帰ってきたみけねこサクランボ隊 2003.06.21 新・みけねこサクランボ隊 2004.06.17 新・みけねこサクランボ隊の逆襲 2006.06.16