2005年6月17日(金)〜18日(土)の冒険

 降雹が相次いだ山形県。先月27日と今月4日に降った雹によりサクランボなどの果実に大きな被害が出ている。サクランボ農家によれば、これだけの降雹被害は初めてとのこと。過去十年間のサクランボの収穫高は一万三千百トンであるが、本年は、過去八年間で最低だった昨年実績の一万八百トンをさらに下回る予想だ。
 また、三月に低温が続いたことなどから、果実の肥大が前年に比べても遅れており、サクランボの生育は例年より1週間ほど遅れている状況だ。

 なんてこった!
 なお、右写真は、本日(6月16日)現在のサクランボの着果状況である。美味しそうでしょ?

 サクランボが大嫌いなクンクンだけは、これを見て、「ムキャー」と喜んだのだった。


2005年6月17日(金) 

 T サクランボ隊 4度目の結成

 みけねこ○○隊。最後のみけねこ○○隊が結成されたのは,ちょうど二年前だった。それは折しも今回と同じ目的地の「帰ってきたみけねこサクランボ隊」だった。それからクンクンが生まれ,ボクタチが出かけることはしばしなかった。

 クンクンももう1歳と8ヶ月。もういい加減おネェさんだ。そろそろ思い切って・・・これは、クンクンにとっては初めての泊まりの長距離旅行となる。不安はあるけれど,行ってみようか!今回は,メンバーにクンクンがプラスされただけではない。彼女のご両親もいっしょだ。トータル5人の団体旅行様である。これも初めての経験なのだ。
 クンクンが小さいので,今までのようにあまり写真を撮ったり取材をすることは出来ないだろう。それに四度目のサクランボの旅ともなると,ボクも新鮮なことを書くのはいくらなんでも無理なのだ。が,題して,「新・みけねこサクランボ隊」とした。どうなりますことか。
 
 9:30。両親我が家に来る。過去のサクランボ隊においては、いつも5時には出発していたが、そういった諸事情によって、今年は超遅いのじゃ。三列目シートを広げたパルパル号は,5人+大荷物を乗せて,いつもよりムッチリ膨らんだ。クンクンは大変ご機嫌が悪そうにチャイルドシートにスッポリ収まった...では,直ちに出発!

 ──パルパル号はイヤそうにノコノコ走り出した。

 U 寒河江

 現在曇り空だが、なんとかこのまま持って欲しいものだ。サクランボの季節はどうしても梅雨時だから、雨の心配が常につきまとう。

 常磐自動車道へ。しかしすぐに日立中央SAにて休息す。クンクンは、ここでリンゴジュースを飲む。ボクはここいらへんで、今回のサクランボ狩りにおける注意事項などを、述べることとした。
 「三月の低温で、サクランボの生育がかなり遅れているそうです」

 いわきJCTから磐越自動車道へ。阿武隈高原SAで休息す。クンクンは、ここでウィンナーと牛乳を飲む。ボクはまた、ささやかなアドバイスをした。
 「さらに、今年は記録的な雹害で、山形のサクランボは壊滅状態だそうです」

 郡山JCTから東北自動車道へ。国見SAで休息す。ここのSAではいつもこの時期、サクランボを多量に売っているハズだったが...ないじゃないか。クンクンは、さらにお義父さんの買ったウィンナーを奪って食べた。ボクはまたこう述べた。
 「青いサクランボというものは、ご存じのとおり余り美味しくはないものです。その点、アメリカンチェリーの美味しいことといったら」

走るファーストクラス パルパル号

 村田JCTから山形自動車道へ。曇ったり、一瞬陽が差したり、雨が降り出したり。なんとも微妙な天気である。ウィンナーを食べ過ぎてむずがりだしたクンクンだったが、ポータブルDVDで”おかあさんといっしょ”を見て、おとなしくなった。さらに念の為として、ボクはこう言った。
 「でも安心してください」とボク。「アメリカンチェリーなら、店頭に並んでいるハズですから、いざとなったらそれが食べられますからね」
 もちろんこれは、サクランボ園に到着した時、両親が(食べ放題のサクランボがないのを知って)大きなショックを受けないようにとの、ささやかな心遣いのつもりだ。

 14:00。さんざん酷使され、怒りっぽくなったパルパル号は、寒河江ICから国道112号へスルリと降り立った。その頃にはまた薄い日差しが戻ってきていた。

 V 最上川観光さくらんぼ園

 さて──今までのサクランボ隊なら、チェリーランドに行って、そこでサクランボ農園を紹介してもらっていた。 このシステムは、軍隊アリの如くサクランボを食べ尽くす、いやしい観光客を分散させ、その時、一番(比較的)サクランボの実が残っている農園を紹介するという大変優れたシステムなのである。
 でも、去年(と一昨年)、続けて紹介されたサクランボ農園がお気に入りだったので、ちょっと試しにそこに行ってみることにした。チェリーランドより手前ですし、それに、わざわざチェリーランドまで行って、サクランボ狩りが出来ないとなったら、両親のショックがさぞや大きいのではないかとボクタチは考えたのだ。

右下が「最上川観光さくらんぼ園」

ここが入口のはずだが?

 寒河江ICを降り、国道112号を北上す。東北の人の運転は実にのんびりだ。平日の今日だから道路は空いていたが、この時期、土日ともなれば、さくらんぼ渋滞と呼ばれる恐ろしき地獄のようなラッシュが発生するので、休日の場合は早めに出かけた方がいいだろう。
 1キロちょいで、パチンコの信号を右折。去年は、この道沿いにはサクランボ園の幟がいっぱいあったのだが...ないない。ないぞよ。直売所はあったが...ボクの鋭い目には、並んでいるサクランボの色がやけに紫色っぽく見えた。これはウーム。
 「お義父さん。お義母さん」ボクは猫なで声で言った。「ほら。直売所にアメリカンチェリーがいっぱい売っているでしょう?買い放題です。いくら買ってもオッケーですからね」

 最上川にかかる村山橋の手前で、土手の上の道を右折(ここらへんに、なんとか幟が残っていた)。数百メートル走って、目的地である『最上川観光さくらんぼ園』の上の土手脇に車を駐める。パルパル号以外には、たった二台があるのみ。去年は数十台は列をなしていたのだ。

 ボクタチは非常に悪い予感がしていたので、まず、二人だけでサクランボ園に様子を伺いに行くことにした。
 去年は、がっついたサクランボ狩りの客でごったがえしていたサクランボ園の入口は、やけに人気がなかった。

 W 錯乱坊

 結局オーケーだった。しかも、彼女が「毎年来てるんです」というと、農園の受付にいた親切なオバサンは、ラムちゃんみたいにこう言った。「100円負けて1,100円でいいだっちゃ」
 ワーイ!。4人で400円ももーけたっぺ。ここいーとこ。この場を借りてPRしておきましょう。

土手を降り行こうよ 口笛吹きつつ

クンクンはボール遊び

 その親切なオバサンの東北弁は大変流暢であり、いささか理解に苦しんだのだが、この様な事を教えてくれた(ようだった)。『今年は例年よりも1週間ほどサクランボの生育が遅れている。本日17日でちょうど昨年の10日くらいの状態だ。また、イラクの核開発疑惑については当園としても大変困惑している(と言っているように聞こえた)』なるほど〜

 最初にレジャーシートを敷いて、クンクンの居場所を確定する。彼女が、せっせと皮と種を取って、クンクンにサクランボを食べさせようとしたが、クンクンは、「ムキャー」と激怒して拒否した。案の定、クンクンはサクランボが大嫌いであり、それよりもボール遊び&水遊びinバケツにご執心の様子。クンクンのお相手は、皆で交代で務めることとなった。

紅さやか

佐藤錦

紅秀峰 ナポちゃん

 ボクは深く静かにサクランボ林の海に潜行していった。サクランボの色づきは、確かに今年はちょっと悪いようだ。むっ!真っ赤に色づいたのを発見。むしゃ?やや小粒の果肉は堅めであり、甘みが少々足りないようだが?例のオバサンによれば、「ダルヴィッシュ。ズンダモチだっちゃ」──なるほど、このサクランボは”紅さやか”という名前で、あまり市場に出さない品種らしい。こいつは貴重な品種に違いないと睨んだボクは、これを多量に食した。むしゃむしゃむしゃ。

 それから、やっぱりサクランボの王様”佐藤錦”である。これまた多量に食した。いつもよりも少々水っぽいように感じる。ボクのネコ舌は、サクランボ関しては常に至高の味を求めており、海原雄山並の厳しさなのである。
 お客さんも何組か入ってきたが、それでも広いサクランボ園の中はガラガラ状態だった。

 さらに見つけたのが、”紅秀峰”。着色が美しいばかりでなく、甘くて歯ごたえがある...これがやけに気に入って(彼女も同意見)、バクバク食べちゃったのだが、後で分かったことは、これは佐藤錦と天香綿を掛け合わせた新品種であり、現在、佐藤錦に続く主力商品として目されているとか。

 ”ナポレオン”もあったが、こちらは晩生種であり、まだ熟しきっていない様子であった。しかし、後から考えるとナポちゃんて、果たしてこんなに黄色いものなのか自信がない。もしかしてあれはパプリカだったのかも知れない。

 クンクンのトコに戻ると、(サクランボ嫌いのクンクンはもちろんのこと)みんなあまり食が進まない様子。理由は明らかである。車の中でムシャムシャお菓子を食べたり酒を飲んだりオニギリを頬張ったりしていたのが災いしたのだ。
 なんということだろうか・・・悲憤慷慨したボクは、またサクランボ林にダイビングして、ムシャムシャ食べ続けたのである。

 X チェリーランド

 15:30。サクランボ園を後にする。もうサクランボはいいや・・・(今日はね)。

 「グハハ!激安でサクランボが売られている秘所へご案内しましょう。アメリカンチェリーがウマイなんて言っていた愚か者は誰でしょうな。グハハグハハ!」
 ボクはこのように高笑いをしながら,途中,前回のサクランボ隊の冒険で,お土産サクランボが格安で売っているのを見つけたJAアグリ寒河江店へ皆さんをご案内したのだが、しかし,広大だったはすのサクランボコーナーは,端っこの方にわずかに売っているのみで、粒は小さく値段ばかりがでっかかった。やはり不作なのか...ここで,両親の信用を一気に失ってしまったみけねこだった。

2003年

2005年

クンクンはここで遊ぶことにした

 15:45。仕方なく,チェリーランドへ。
 「グハハ!ここには、サクランボのマークの巨大な看板がありましてな。グハハグハハ!」と言おうと思ったのだが、言わなくて良かった・・・。
 なぜかあの看板はすっかり縮んでしまっておった。アップグレードならぬダウングレードである。おそらく、本年のサクランボの不作のせいであろうかと思われる。

 →さがえ観光さくらんぼ狩りのページ

 サクランボ狩りの受付も、既に終了していた。小学生以上1,200円。3歳以上1,000円ですって。ここで、お土産タイムである。佐藤錦は、前回1パック500円〜800円くらいだったのが、なんと1,500円!高け〜。安めのを見つけたら、なんと、ボクが貴重だと思いこんでバクバク食べた”紅さやか”であった。後で調べてみたら、”紅さやか”は、早生種であり、佐藤錦や紅秀峰やナポレオンの受粉樹としてサイテキだそうである。
 なるほど・・・あまり市場に出さないって言っていたのは、こういう意味だったのね。

 さて。そろそろ今夜の宿のある作並温泉へ行かなくちゃ。16:00チェックインと伝えてありますし。今回は、いつになく冒険しないサクランボ隊なのだ。
 16:00。予定より遅れて出発。チェリーランドの縮んだ看板は、あっという間に見えなくなった。

 Y 作並温泉へ

 『作並温泉』。山形県天童市と宮城県仙台市とを結ぶ作並街道(国道48号線)、広瀬川の渓流沿いに開ける湯の里であり、秋保温泉とともに仙台の奥座敷として親しまれる。

 作並温泉って、困ったことにこれ以上紹介すべき術を知らない。そうそう。ここは、こけしで有名でしたっけ。こけしって云っても、電池を入れるタイプではない。作並こけしは、遠刈田こけしの影響を色濃く受けているとのことだが、安定性を考慮した台があって、胴が細く、ろくろ線が細く、昔ながらの素朴さが特徴。そもそもは、こけしって、東北で生まれたものであり、当初は子供のオモチャだったそうですね(実際、胴が細いのも子供が持ちやすいようにとのこと)。

 今回のサクランボ隊の旅の宿を決める時、こんな感じだった。条件としては、クンクンのことを配慮して、距離的にあまり遠くなく、夕食は部屋食というのが絶対条件だった。
 彼女「作並温泉なんてどうかしら。ここ部屋食なんだけど」
 ボク「サクナミなんて聞いたことないなア。さぞ深山幽谷にある人知れぬ秘湯なのであろう」
 人外魔境のつもりで調べてみると、この温泉旅館、混浴ジャン。なんとふしだらな!──というワケで、ネットで予約したのだ。

 国道48号線を仙台に向かってひたすら走りつづける。こんな道だ・・・なんだか雨が降ってきていた。

 Z  岩松旅館

 17:00。着いた!
 魅惑の温泉街は,下写真のとおり。浴衣姿・下駄履で,泥酔して千鳥足でフラリフラリと夜の温泉街を歩くのもなかなか乙なものだが,これじゃ十メートルも歩かないうちにタンクローリーに引かれちゃう。仙台の奥座敷”作並温泉”の神髄とは,やはり宴会旅館なのだろう。 会社の旅行で泊まって、上司に酒をついで回って(ついでにさんざん説教され)、夜は耐え難いイビキを枕で耳をふさぎながら寝苦しい夜を過ごすってアレだ。実は,彼女もお義父さん までもが作並温泉には職場旅行で来たことがあり、ここを知っていたのである。ボクは始めてでしたけど。

旅館前の温泉街

岩松旅館

ロビー お部屋

 そしてここが今夜の宿”鷹泉閣 岩松旅館”・・・ウーム。なかなか玄関構えがお宜しいいではありませんか。さらに空港ターミナルをイメージして作られた(かもしれない)ロビーは超豪華。さすがは作並温泉を代表する旅館なのだ。
 
 案内された部屋はまずまず。外観とロビーは立派でも、部屋は・・・というのはよくあるが、掃除も行き届いていますし、値段以上(実は、一人12,000円+諸税だったのじゃ)でしょう。部屋に案内された途端に,興奮しきったクンクンは畳の上をダダダとハイハイし回った。

 養老5年。奈良時代の僧・行基がフラフラとこの地を歩き回っていた時。下の渓流から仏法僧(ホトトキズのことでしょうか)の声が聞こえてきた。当時は、ホトトギスの鳴き声なんて、車が走る音よりも珍しいものではなかったのだが、行基がそれに誘われて深い渓谷に降り立つと,そこには湯気がモウモウと立っている混浴温泉が!仏のお導きに違いないとピーンと直感した行基は,この温泉を人々に知らしめたのであった。これが『作並温泉』が温泉界の檜舞台に彗星のように躍り出たその時である。

 文治5年。奥州藤原氏討伐の途中,チョイと狩りを始めた源頼朝は、鳥を追って深い渓谷に降り立った。そこには,コンコンと沸き立つ混浴温泉があって,傷ついた鷹がジャバジャバ湯につかっているではないか。頼朝が見ていると、その鷹は、「カアカア!」と元気よく鳴いて、バタバタ飛び去っていった。さっそくその湯に入ってみた頼朝は,長旅の疲れどころか長年悩みの種だった肩こりまですっかり解消。兵士共にも湯に入らせたところ、兵達は血に飢えたバーサーカーのようになって、頼朝大満足。かくて,元気いっぱい弟殺しの軍旅に出発した云う。

 この二つの開湯伝説。日本の温泉って、日本武尊と弘法大師が激しい温泉発掘(ほっくつ)合戦を繰り広げたという史実は、皆さんご承知のとおりであり、去年完成した市営の日帰温泉施設だって、「弘法大師が修行の途中、この地にボーリング調査を行ったところ、地下1,500mからアルカリ性単純泉が湧出した」とかされるのが一般的である。
 しかし、作並温泉に関しては、日本武尊も弘法大師も登場しない分、開湯伝説も二つもある。由緒正しきことである。

 [ 混浴露天への道

 夕食までまだまだ時間がある。まずは、温泉ですかの?やっぱし。
 さて、下表をご覧いただきたい。

場所 種 別 名 称 泉      質 泉温 備  考
B1 男女大浴場(内湯) 不二の湯 単純温泉 低張性弱アルカリ性高温泉 50.0度  
B2(上) 清流風呂(展望内湯) 香華の湯  〃 (源泉は「不二の湯」と同一)

女性専用
B2(下) 岩風呂(露天) 新湯 単純温泉 低張性弱アルカリ性高温泉 51.5度

女性専用時間
 19:30〜21:00
 6:00〜7:00

滝の湯 含食塩芒硝泉 ナトリウム・カルシウム 硫酸塩、塩化物泉 56.2度
鷹の湯 57.5度
河原の湯 54.2度

 男が露天に入れる時間帯は夜も朝も限られておる。このジェンダーフリーの世の中、なんと不公平なのだろうか。黒人差別よりもヒドイ。ガソリンスタンドではレディースディーで女性のみ卵一パック無料だったり、鉄道では女性専用車両が出来たり・・・ついには、古き良き混浴温泉にまで差別の波が襲ってきた。そのうち、男性は選挙権まで制限されるようになるかもしれない。かくして、フェミニストのみけねこはウハウハ喜んだ。

 皆で岩風呂へ行くことになった。これはノリである。もちろん、クンクンもだ。初めての温泉──温泉って、普通は熱湯でグラグラ茹だっているものだが大丈夫かなぁ?

 先進の電動エレベータ(これのお陰で,昔よりも階段が短くなったそうである)で地下2Fまで降りると,そこには木造の階段があった。いい雰囲気じゃありませんか。古式床しく見えるが,充分計算された古さだと思われた。階段上の電波時計(たぶん)を見ると17時40分。暗くなりつつあるものの、まだ陽は陰りきってはいない。
  この階段をきしきしと下りていくと,休憩所があり,回廊は右へ曲がる。その先に,女性専用の展望風呂があり,さらに左に折れて階段を下りると、突き当たりに扉。扉を開けた先は混浴の岩風呂だ。左手に下駄箱、右手に男女別の脱衣所がある。

木の階段を下りる

途中のお休み処

さらに降り、突き当たりの扉の先は

右に男女別の脱衣所が

脱衣所の中

 明治26年8月。正岡子規は芭蕉の足跡をたどる旅の途中、ここ岩松旅館に逗留した。 「温泉は廊下伝ひに絶壁を下ること数百級にして漸く達すべし。浴槽の底板一枚下は即ち淙々たる渓流なり。蓋し山間の奇泉なりけらし」
 子規の目にはどんな風に映ったのだろうか。今とそれほどは変わっていなかったのか。当時の岩松旅館は、作並温泉の一軒宿であったはずだ。

 \ 岩風呂とクンクン

 寛政8年(1796年)。岩松喜惣治は,岩松家だけに知られるこの混浴の湯を世の人と分かち合いたいと,藩主・伊達斉村に願い出て,これを許された。喜惣治は,8年の歳月をかけて木を倒し,渓谷の急斜面を切り開き,7曲り97段の階段を作ったのである。伊達斉村はこの功を喜び,『鷹乃湯』の名を与えた。

この位置からの写真は、パンフレット等で作並温泉の紹介に必ず使われる。

手前左が岩風呂唯一の単純泉である「新湯」。柱の表記は”しん湯”とある。
右側の一番大きいヒョウタン型が「滝の湯」だ。
正面、左よりの岩の下が「鷹の湯」。木で縁どられている。名前からして一番古いのだろうか。
コンクリートの屋根のある、奧の(うっかり、写ってしまった)人がで出てきたトコが「河原の湯」だ。

だって、階段とこからカメラを構えたら、急にモソっと出てきちゃったんだもん。

ここは、タオルを巻いて入るのは厳禁となっている。当然ですな。
もちろん、四万十川並に透明度がある温泉であるので、見せたがり屋のご婦人は安心されたい。

 ボクが取材に勤しんでいる(FinePix F10は、この光量の厳しい条件下でなかなかです)と、彼女がクンクンを抱いて入ってきた。ボクは一通り泉温を足で計ったが、どれもそんなに熱くなし。その中でも一番ヌルいような気がした「滝の湯」にクンクンをダッコして身体を沈め・・・「アイー!」クンクンは恐怖の悲鳴を上げた。そりゃ無理もない。我が家のお風呂は、いつもクンクンのために38度に設定しているのだ。ボクタチは、あわててクンクンに手で湯をバシャバシャかけてみた。「ムキャキャー!」クンクンは、さらに大きく悲鳴をあげた。そんなに熱いはずはないのに。ちょっと湯温に慣れれば、クンクンも喜ぶはず。ボクは顔ばかりでなく、心まで鬼にして、クンクンの身体をチャッポリと湯船に入れた・・・「ムキャキャキャキャー!

 クンクンはご機嫌になった。ほら。やっぱりそうでしょう?

広瀬側の渓流。上流に小さな瀧がある

一番奧の河原の湯

クンクンは大喜び

お休み処にて。来たきた

 木製の荒削りの屋根は、太い丸太柱が梁を支える。なんとも豪快な雰囲気だ。この岩風呂は、この屋根がまたこの温泉の趣をいや増している。
 クンクンは、瀧の湯の縁に座ってお湯遊びだ。パチャパチャパチャパチャと夢中。ボクタチは、クンクンが冷えないようにお腹や背中に湯をかけるが、時々クンクンの逆襲がある。

 「もう少し遊ぶんだ」と主張して大暴れしているクンクンを抱きかかえて、岩風呂を後にする。クンクンが余りに喜こんで遊びたがるので、思ったよりも時間をくっちゃった。
 先に着替えたボクとクンクンは、階段の上のお休み処にて彼女を待つ。クンクンはベンチの上をグルグルと回った。

 ] はて知らず

 18:30。夕食の時間。膳は我々の部屋にまとめて持ってきてもらった。お味の程は、まあ、あの値段なら納得かな。
 クンクンは、持ち込んだのりたまをご飯にかけて食す。クンクンはのりたまご飯にご執心なのだ。

 20:00。部屋のお風呂にクンクンを入れる。ここでないと、頭を洗ってあげる自信がない。ユニットバスでしたけど、こういう場合はあるだけで大助かりだ。

不二の湯

脱衣所

 その後、お義母さんにクンクンを見てもらっていて、ボクタチはそれぞれ内湯の”不二の湯”へ頭を洗いに行くことにした。
 ”不二の湯”の浴室内は、残念ながら人がいたので写真を撮ることは出来なかった。まあ、広くて綺麗。温泉がここしかなければ、粘りまくってなんとか写真を撮ったでしょうけどネ。サササと素早く頭を洗ったボクは、またも岩風呂へ向かった。ちょうど女性専用の時間が終わったばかりのせいなのか、誰も入っていない。ひとつひとつの湯船で、泉質を確かめる。あまり成分は感じられないのだが、ここは貴重な掛け流し。湯温を低くするために多少の加水はされているとのことだ。

 広瀬側の──川面は墨を流したように真っ黒であり、ただ水流の音だけが聞こえていた。

 涼しさや 行燈うつる 夜の山
 夏山を 廊下つたひの 温泉かな
 はて知らずの記より(正岡子規)

 下の写真は、奧から入口階段に向かってだ。そして、宿に掲示してあった写真が右である。板張りの床は、今では「鷹の湯」の周りに一部残っているだけだが。正岡子規がやってきた頃。こんな様子だったのだろうと思う。

 正岡子規より後の時代になる。
 ネットで検索していたら、こんな写真を見つけた。東京の浅草小学校(国民学校)の集団疎開の写真のところだ。そんな時代もあった。そしてこの頃には、板張りを撤去して岩風呂にしていたのだろうか?
 http://www.aurora.dti.ne.jp/~ssaton/kyouiku/asakusael.html
 そして、こんなページも...
 
http://www.asahi-net.or.jp/~jk9s-kkc/newpage89.htm

 興奮してなかなか寝付けなかったクンクンが寝たのは、ようやく23時過ぎのことだった。

 

2005年6月17日(金) 

 ]T 翌朝

 朝,7時に目が覚める。クンクンはめずらしく寝相宜しくグーグー寝ていた。彼女はなんと6時に目が覚めてお義母さんと既にお風呂に行っちゃったというので,またもボクはひとりシツコク岩風呂に向かうことにした。なんといっても、温泉に入れるなんて最近滅多にないことですからね!
 
 いい気持ち・・・天気も上々。湯船の縁から渓流を見ると,いつくもの大きな魚影が。「ギョエー」ボクは驚いて(もちろん)叫んだ。
 カジキにマグロにホッケ(たぶん)だ。彼らは,上流に向かってゆっくりとシッポを左右に動かしていた。
 
 7:45。朝食のバイキング会場へ。なかなか種類豊富だ。正直,夕食より美味しく感じてしまった。クンクンは、少しだけウィンナーを食べてから「アアーン」と泣き出してしまった。クンクンの「アアーン」はかなり強力で、もの凄い勢いで暴れながらである。どうやらこういうテーブルでの雰囲気はキライみたい。クンクン用にパンとウィンナーを少しばかりガメて部屋に持ち帰ったら,クンクンは喜んでパクパクと食べた。
 
 9:20。チェックアウト。玄関の朝市でオバサンがサクランボを売りに来ていた。うううむ。高い!

鷹泉閣 岩松旅館 宮城県仙台市青葉区作並字元木16
022(395)2211
日帰り入浴は可と思われるが、情報が錯綜しているため問い合わせのこと。
大人600〜1,500円?。小学生以下無料。
11:00〜14:00?(土日祭日は11:00〜13:00)

 国道48号線を疾走している途中。右手に巨大なこけしが見えた。仙台方面をじっと睨んでいる。あたかも仙台の穢れた野郎共から作並温泉を守ろうとしているように。いつもなら車を駐めてでも写真を撮るところだが...今回は仕方なし。写真は、フリーのものを拾ってきたが、もし 大きいのと小さいのの大きさが逆であったならば、非常に話題性があるものとなったであろう。
 いざさらば!作並温泉。

 

 ]U 定義如来

  しばし国道48号線を西へ、仙台方面へ向かうが,途中左折す。住宅地の道が続くがやがて細くなっていく。
 せっかくここまで来たのだから、ちょっとだけ寄り道をしようか。過去においては、山寺の和尚さん、極秘湯・姥湯温泉、おしんの銀山温泉、蔵王のオカ〜マ、語らずの湯殿山のご神体など錚々たる名所旧跡を見てきたサクランボ隊 だが・・・

 仙台市のデバ亀(でしたっけ?)と呼ばれる大倉ダム湖の西側の狭い道(工事中で交互通行)を延々と走り、やがて。

 定義如来(極楽山西方寺)
 
 平清盛没後、清盛の長男にして、この人あれば平氏は安泰とまで云われた重盛という逸物がいた。重盛公は壇ノ浦の合戦の4年前に病死したが、もし重盛公が生きていれば、「源氏でなくば人にあらず」と驕り高ぶった挙げ句にミジメに滅亡したのは源氏であったと史実に書かれたことであろう。
 その重盛公は、源氏とかゲジゲジとかいう輩が、世の平安を乱すことを憂い、中国は育王山欣山寺に黄金を寄進して平和祈願を願ったところ、重盛公の篤志に対し、伝来の阿弥陀如来の画像宝軸が送献されたのだった。
 治承2年秋。死期を悟った重盛公は、自身の右腕だった肥後守平貞能公を呼び、その宝軸を授けた上、皇が世と自分の後世を祈ってくれよと頼んだのである。
 平家が壇ノ浦の合戦で滅亡した後、貞能公はこの地まで落ち延び、名を定義(さだよし)と改め、世の平和と重盛公の菩提をひっそりと弔った。
 貞能公は、建久9年(1198年)に亡くなり、従者達は公の墓の上に小堂を建て、阿弥陀如来の宝軸を安置したのだった。
 宝永3年(1706年)。如来の御霊威を知った早坂源兵衛は、出家して観蓮社良念として、”極楽山 西方寺”を創立したのである。
 この地が「定義(じょうぎ)」、”極楽山 西方寺”が「定義如来」又は親しみを込めて「定義さん」と呼ばれるのは、貞能公の名に起縁する。

 ちなみに、貞能公については、重盛の遺骨を抱いて茨城県に落ち延び、出家して小松寺の住職となったとか、塩原温泉で混浴岩風呂に入っているのを見かけたとか複数の説があるようだ。平家物語には、宇都宮氏を頼って落ちていったと記されている。小野小町の生まれたるは我が地なりとか、小倉優子の墓はここなりとか日本全国に多数存在あるのは、日本人の有名人コンプレックスを示すものであるが、こういうことはあまり詮索すべきものではない(また、あまり主張しすぎるのもよくない)。史実ではなく、ロマンであるのだから。

 ここだ。”定義如来”。

ガラガラの参道そして仁王門

この奧が貞能堂となる

 広大な(でもガラガラの)駐車場へ。そこから短い参道を歩く。最初はベビーカーでスヤスヤと30秒くらい寝ていたクンクンだったが、すぐに目が覚めてしまい、ダッコするハメとなった。 参道の両側では、土産物屋やご休憩処が軒をつらね、金払いのいい善男善女を待っている。まだ混み出すには時間が早い。

 仁王門をくぐり抜け、50円でお線香と蝋燭セットを購入す。そして、六角円堂の貞能堂(旧本堂)へ。ここは、古くから縁結び・子授けには絶妙なる霊威があると云う。クンクンが行きたい行きたいというので、裏へ回ってみた。コイがいっぱいいる池の脇に”長命水”が湧き出ていたので、みんなでゴクゴク飲んでみた。ウーム。あまり美味しくなかった。良薬口に苦し。
 さて。最近完成したらしい新本堂は(噂では)ピカピカのハイテクビルらしいですし、青森ヒバで建てられた五重塔とその回りの庭園はすばらしいたたずまいであるらしいのだが.. .今年のサクランボ隊はここまで。

 最後に名物だろう。なんといっても、「名物にうまいものなし」と言いますから、是非食べなくちゃなりません。
 参道へ戻って、名物・清水屋の”やきめし”(220円。 チャーハンでなくて、みそを塗って焼いたおにぎり)を買おうとしたが、これがニンニクみそみたい。ニンニクは三度のキンニクよりも好きなのだが、今日はその気分ではない(本当はあんまり好きではないの意)。
 もう少し歩いて、定義とうふ店の”三角あぶらあげ”を食べることにした。
 参道に並ぶ店の一番外れの方に、そのとうふ店はあるのだが、店の中も外のテーブルでも、老いも若きも背中を丸めて一心に油揚げを食っておる。110円にしては、なかなかでかい。
 所詮は油揚げよ・・・と思っていたのだが、醤油と七味をつけて食べるそれは、思いがけずサクサクさっぱりモッチリだった。キツネやトンビが油揚げが大好きだというのもうなづけた。

 今はまだ午前10時半だが・・・しかし、後は帰るだけだった。

 クンクンを連れての初めての旅行。また、来年もサクランボ狩りに行けるだろうか?
 たぶん来年は、クンクンはもうちょっとだけ大きくなっていて、美味しいサクランボの味を楽しんでくれることだろう──。

 

みけねこサクランボ隊の巻 2001.06.30
みけねこサクランボ隊リターンズ 2002.06.15
帰ってきたみけねこサクランボ隊 2003.06.21
新・みけねこサクランボ隊 2004.06.17

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