2003年6月21日(土)〜22日(日)

6月21日(土)

帰ってきたみけねこサクランボ隊 その1 初夏の宝石

 5時15分。眠いなァ・・・でも,行くぞっ!山形にサクランボ狩りに。三度(みたび)!
 狼の皮をかぶったハムスターと評されるホンダ・ストリーム『パルパル号』は咆哮したっ!「チューチュー
 そして,ノロノロと走り出したのであった──長の旅路を。

山形自動車道

四車線化の工事が進んでいた

 ──7時10分。 吾妻SAへ。ここで彼女が朝食代わりにアメリカンドックを買った。んまそう〜。食べるよう勧められたが,アメリカンドックなど外道の食物はサクランボを胃袋に詰め込む時の邪魔となるため,もちろんボクは断固拒否す。

 8時00分。村田JCTから山形自動車道へ。山形自動車道は,もう四車線化が完成していた。トンネルと長い坂道が続く。

 8時45分。パルパル号はネズミのように寒河江ICを滑り降りた。高速料金片道6,400円。む〜ん。遠いから仕方ないですケド・・・思えば,とてつもなく高いサクランボ代ですね。
 高速出口は混んでいた。日本全国から集まったサクランボ狩りの客に違いない。今日明日当たりがサクランボ狩りのトップシーズンなんじゃないかなぁ。あんまりサクランボ園が混んでなきゃいいんですけど...そして,国道112号線を北へ向かった。周りの県外ナンバーの車はみんなサクランボ狩りの車のようだ。車の中のファミリー連中は,舌なめずりをして,サクランボに備えている様子。

チェリーランド到着〜。また逢ったね

行列が出来るサクランボテント

 8時55分。チェリーランド到着。車がドンドンと広い駐車場へ入っていく。パルパル号も,なんとか,駐車場のハジッコに車を駐車できた。過去三回の訪問の中で今年が一番混んでるぞよ。

 さっそく,サクランボ狩り受付テント前に(砂糖に群がるアリのようにズラーリと並んでいる)列の後ろに並んだ。料金は一人1,200円(税込)也。
 受付のお姉さんは,「右と左方面。どちらがいいですか?」「(そんなこと聞かれたって困っちゃうよ)美味しくてジューシーな方をお願いします」「では,こちらになります」・・・と,地図をくれたそのサクランボ園は,『最上川観光さくらんぼ園』。そこは,去年のリターンズの冒険の時に行った場所じゃん。

いくわんよん。サクランボが俺を呼んでいる

 5分ほど車を走らすと,最上川の村山橋手前の土手駐車場?へつく。もうお客は結構来ているのだ。土手を降りて行って,サクランボ園入口でオバサンにチケットを渡す。
 「ンまー!去年も来たの?直接こっちへいらっしゃいよ。『去年も来た』と言ってもらえれば,100円引いちゃうわ」・・・あらま。

 そして,ボクタチの目の前にたわわに実るメロン・・・じゃなかった。真っ赤なサクランボの世界が広がった。
 そして,そのサクランボを(ウンコに群がるウジのように)ガツガツ食べているサクランボ狩り客たちが!

成ってる成ってる

これは黒くて甘い。交配用かな?

種類不明の黄色いサクランボ

やっぱり,この佐藤錦

 うをを〜!ザグランボダ!!!
 ボクタチは,夢中で食べた。ジューシィでフルーティなサクランボを。なんたる大粒であることか。まるでメロンのよう...ガツガツガツッ。

 そこで,ちょっと桜と桜ん坊のお話を。

 世の中に 絶えて桜の
 なかりせば
 春の心は のどけからまし


 『古今和歌集』で,在原業平がこのように詠っている桜。古来からこのように日本人から愛されている桜だが,サクランボと桜はあまり関係がない。実は,ボクもサクランボって,桜の実がデッカクなったやつかと思っていたのだが,実はこれらの実は食用には適しないそうだ(昔の人は食べちゃったという記録はあるようだが)。
 桜は,バラ科サクラ属に入るたくさんの種の総称。サクランボは,「セイヨウミザクラ(西洋実桜)」という種類のサクラの実で,その名の通り西洋原産。

 真っ赤なサクランボは,佐藤錦。黄色いサクランボと,黒くて小さいサクランボもあったが,お味の程は佐藤錦にはとうてい及ばない。たぶん,交配用に残しているのだろう。
 このサクランボに比べたら,そこらのスーパーで売っているサクランボなんて,まるで,種に薄い皮を巻き付けたようなもの。

 「初夏の宝石」
 サクランボは,原産地はトルコでバラ科の落葉高木。紀元前にヨーロッパに渡りアメリカに伝わった。日本に入ってきたのは明治初期。ドイツ人技師が持ってきた苗木が全国に配られたが,成功したのは山形県を始めいくつかの限られた地のみであった。山形は,日本の生産量の7割を占める。サクランボの種類は,全世界で1 ,500種以上あるが,日本では約30種程度前後。品種的には大きく白肉種と赤肉種に分けられ,日本では白肉種が主体。赤肉種で有名なのがあのドス赤黒いアメリカンチェリー。世界的には,堅くて日持ちの良い赤肉種の方が生産量が多いのだ。

 10時15分。すっかり満足したボクタチは,大きくふくれあがったお腹を地面にズルズルと引きづりながらサクランボ園を後にした。
 「うー。サクランボ。当分食べなくてもいいね。明日くらいまでは」ズズズズー
 「ゲプー」ズズズズー

 

帰ってきたみけねこサクランボ隊 その2 大噴水

 サクランボをお腹に詰め込んだボクタチは,とりあえずチェリーランドへ戻ることにした。そこで,お土産をちょっと探そうってワケ。
 途中,信号待ちで車をとめたら,交差点にいたオジサンがノコノコと近づいてきて,窓からパンフレットをくれた。ゲリラ戦法だ。ナニナニ?○△サクランボ園は,サクランボ食べ放題千円!ですって?しかもそこは,お土産箱に1キロ自分で詰めて2千円なんですって。ウヌヌ・・・もう遅い。イッツオーバー。喰っちまったんだよ〜。オレタチはな!
 きっと,JAに加入していないサクランボ園なのかなぁ。ただ,後で聞いた話だが,山形に行ってサクランボ狩りをした人がいて,その人が行ったサクランボ園は,高い梯子で”ましら”のように木を登っていかないと食べられないところだったそうだ。そういうサクランボ園もあるらしいので,先祖還りの猿に近い人以外はJA紹介の園の方が間違いないかもね。

 チェリーランドでお土産に買ったのが,”ふるふるさくらんぼ”。これはゼリーの中にさくらんぼが8個も入っている新製品なのである。”るるぶ”に載っていたのさ。なかなか売られている場所が限られていると云う。ついでにここでお土産用サクランボも調べたのだが,箱入りの大粒の揃っているのは本場でもさすがに高い。これは思うのは7,500円はするんだもんね〜。道沿いでもう少し探してみることにしよっと。

道の駅にしかわ

おにぎりを買う

 ──ボクタチは,国道112号線を鶴岡方面に向かって北東に走っていた。
 途中,サクランボ直売所を見つけて寄ってみたが,粒がバラバラ。お土産用としては今ひとつだなぁ・・・風景は次第に変わり,山々と緑ののんびりした光景がしばし続く。高速道路と違い楽しい道。ボクは,単調な高速道路はあんまり好きじゃないんだ。

 11時45分。月山湖沿いにある”道の駅にしかわ”へ。売店で”ふきのとう味噌おにぎり”(2個で200円)を買って,ちょっとだけ休憩(時間つぶし)。もうお昼だけど,サクランボを詰め込んだお腹には,ちょうどいいや。かすかな苦さがとても美味しかった。

 12時00分。いよいよ”月山湖大噴水”のショーの始まり始まり〜
 まずは,拡散噴水が拡散波動砲のように(波動砲の改良版なのにものの役にも立たないんですよね)チョロチョロと出てきた。そして,直上噴水が!ドバドバドバドバドバー!おおっ。そして,最後に直上噴水が山の高さまで上がる。風が強いから,かなり流されちゃうけど,なかなかの迫力だ。

あれ。なにかな〜

おんや? あれれれ? じょじょじょじょ〜

 月山大噴水は,2億7千万の巨費を投じて昭和58年に作られた日本一の大噴水。高さ112メートルは世界では第四位。毎時間ピッタリに一回,約10分間打ち上げられるねっ,見る価値あるでしょ?通りがけなら十分に。
 さあ。短い休憩は終わり。そろそろ行きまっか!

帰ってきたみけねこサクランボ隊 その3 六十里越街道物語

国道112号より。山には雪だ...

 12時15分。月山湖を後にし,パルパル号は,またシュルシュルと国道112号を走り出した。この道路は,庄内と山形を結ぶ月山新道とも呼ばれる。なんともいい感じの道だ。

 出羽三山とは、月山・湯殿山・羽黒山の3つの山の総称である。しかし,それぞれが独立した山というわけではなく,月山(1,998m)を中心として広がる峰峰のそれぞれが,羽黒山(414m),湯殿山(1,504m)と呼ばれる。
 出羽三山は,推古元年(593年),三十二代崇俊天皇の第一皇子である蜂子皇子により開かれた。1400年以上の歴史を有する三山は,山岳信仰・修験霊場の場として有名である。
 出羽三山を歩く事を「三関三渡」と云い,それは,現在(羽黒)・過去(月山)・未来(湯殿)を歩くことを意味する。現在・過去・未来は(渡辺真知子ではなく),観音・阿弥陀・大日如来に照応する。羽黒修験とは時間を旅することでもあり,死と再生を目的としたイニシエーションなのである。普通の人でも 申し込めば,羽黒修験の峰入り(山駆け)に参加することが出来る。それは厳しい修行だとのことだ。いつかやってみたいものだ。


 その前の晩。
 「羽黒山の『出羽三山神社三社合祭殿』だと,一箇所で三箇所お参りしたのと同じなんだって。一粒で二度おいしいね。江崎グリコみたい」(月山・湯殿山は,豪雪のため参拝出来ないことが多く,ここ 羽黒山でまとめて祭られているのだ)とか,二人で相談したのだが,なにせ羽黒山だと鶴岡回りとなり,いささか遠い。結局,出羽三山最終修行の地である湯殿山神社だけ行くことにしたんだ。前略湯殿山ってワケ。

ここから旧道へ

バス停が目印 あ〜ん。疲れちゃった。休憩〜

 突然トンネルへ。月山第一トンネルだ。明るくて近代的なトンネルなのだが,これが長い長い。よくぞ通したという感じだ。 このトンネルには恐ろしい怪談話があるようだが,一向にそれを感じさせない。次なるは湯殿山トンネル。さらには月山第二トンネル・・・あれれ?湯殿山へは?湯殿山神社にセットしておいたはずのナビは,しらんぷりをしている。いつもは,「右へ曲がれ」の「左へ曲がれ」の「セブンイレブンが目印です」だのやんなっちゃうくらい口うるさいってのに。
 あわてて,地図を見る。やっぱり通り過ぎちゃったみたいだ。フナフナ〜。途中,それらしい看板も見えなかったのに。

 やむなく,旧道・六十里越街道から戻ることにした。みけねこの愛用している東北の古地図(15年前の)によると,この旧道からしか湯殿山神社には行けないように(見える)。

 ──難儀な道だ。一応舗装はされているが,クネクネとした対向車と交差出来ないような細い山越えの道が延々と続く。あの高速道路並の国道112号が懐かしい。昔の人はこの道を通っていたんだなぁ・・・幸いなのは,パルパル号以外, 対向車一台とも出会わなかったこと。緑のカーテンの下をひた走る。バイクだったら,さぞ楽しい道であろう。ナビによれば,二度ほど先ほど通過したトンネルの上を通って,15キロほど走っただろうか。

 出羽三山への参詣路として,六十里越街道は平安の時代よりあった。戦国時代になると六十里越街道は戦略の要路ともなった。江戸時代に入ると,山形藩主・最上義光の手によって六十里越街道は改修され,「お山詣り」の参詣道として,時には参勤交代の道として,人々にとってなくてはならない道だったのである。
 明治時代となると,山形と庄内を直線で結ぶ重要なこの道,車馬の通ることの出来ない六十里越街道の拡幅が何度も検討されたが,峠が続く険しい地形条件は,近代的な改修を冷たくはねつけたのであった。
 しかし,明治二十二年。新道の有力なルートが発見され,長く慎重な測量の結果,明治三十二年に新道開削工事が開始された。大変な難工事の連続であったが,ついに,明治三十七年。新道は完成したのである。
 しかし,ところが,ようやく車馬が通れるようになった新道ではあったが,ほぼ直線であった旧道と違い徒歩の旅人にはかえって時間がかかるようになったことや,急カーブや勾配の多さは,モータリゼーションの時代にはそぐわないものであった。
 昭和七年から昭和十年にかけて,ついに,新しい六十里越新道が完成することになる。その新道は何度も拡張工事が繰り返され,現在の国道112号線となったのである。

湯殿山ホテル

 そこが湯殿山への分岐点だった。

 湯殿山温泉にたった一軒だけ存在する湯殿山ホテルが忽然と現れた。そんなに大きくない古びた背の低いホテル。
 ホテルに(なぜか)ある釣り堀から,ファミリーの楽しげな声が聞こえて来た。

 突然,現実に戻ったのだ....一瞬,そんな気がした。

 

帰ってきたみけねこサクランボ隊 その4 語るなかれ 聞くなかれ

有料道路料金所

 ここで左に折れるとすぐに,湯殿山有料道路の料金所がある。400円(往復)払うと,話好きそうな料金所のおじさんは,「上でアイスクリームが50円引きになるよ」と,割引券二枚をくれた。

 急に賑やかになったと思われたのも一瞬のこと。また車の通りもない狭い登りの道が続く。でも,さっきの六十里越街道よりはずっと走りやすい。緑のカーテンの中,山々に残る雪がチラチラと光る。

仙人沢。そこには

バスが待っていた 乗れ乗れ〜

 13時00分。彼方に巨大な赤い鳥居が見えたと思ったら,すぐに有料道路の終点・仙人沢だ。広々とした駐車場へ。ここには,大鳥居と参籠所とお土産処がある。車が2〜30台くらい。バスが3台くらい来ていた。ここから,30分くらいかけて歩いて登ることも出来るのだが,ちょうど専用の連絡バスが待っていた。片道100円ですってよ。えいっ!乗っちゃえ。

 バスの中には,5人くらいのお年寄りが乗っていた。信心深い善男善女である。すると,後から来たバスのお年寄り団体がドヤドヤとやってきた。まこと,御仏の慈悲は無限である。その団体の何人かがバスに乗る前にトイレに行こうとすると,「こりゃ。小便なんかしてんじゃね〜。バスでるど〜」「先に待っているオレ達は待ち賃で50円だな」
 「皆さん。揃いましたか?」と運転手さん。根性悪のジーサマは「そろったそろった。早く出してけろ」・・・すると,大急ぎでオバアサン達がバスに駆け込む(揃ってないじゃん)。善男善女達は「ゲハハー!」と大騒ぎである。

 そして,バスは出発した。急勾配の坂をバスはグイングインサーガと登った。

 バスが着いた先。

 観光バスのお年寄りたちは,ガヤガヤと正面の階段を登っていく。そんなに急ぐことはないだろうさ・・・ボクタチは,トイレ(なぜか女子トイレの方が立派)に行く。空気がいい。なんだか,とてもいいところだ。山には雪。そしてセミの鳴き声。

 父・崇峻天皇を蘇我馬子によって暗殺された蜂子皇子は,聖徳太子の勧めによって,弘海と称し飛鳥の地を逃れる。
 推古天皇元年(593年)。蜂子皇子は,三本足の真っ黒な大烏に導かれて,出羽の山にたどり着く。そこが羽黒の阿古谷であり,さらに月山,湯殿山を開いたのである。であった。そして,皇子は,厳しい修行の末に神通力を得,人々の病を治し,災いをよく除いたことから,「能除太子」と称せられたという。不思議なことに,太子の
姿は,肌が黒く,口は耳元まで裂けた鬼のような姿であったと伝えられる。

 或いは...羽黒修験は,他山の修験と同様に役の行者を祖としていたが,いつの時からか蜂子皇子の伝説が広まっていた。これはよくある貴種流離譚だと思われる。しかし,江戸時代初めになって,羽黒の天宥という僧が,蜂子皇子(崇峻天皇の第三皇子)を第一皇子にするように政治運動を始め,ついに朝廷から「照見大菩薩」の号を得ることに成功する。それ以降,羽黒修験は,開祖を蜂子皇子を名乗るようになったのである。さらに,明治となって,国家神道の政策を進めていた政府は,羽黒山の開祖を蜂子皇子であると正式に認定し,その墳墓とされる場所を宮内庁管理としたのであった。

奥が女子トイレ

参道へ 龍の像がある 子宝の牛

 参道の階段へ...龍の像があり,有名な子宝の牛の像がある・・・と,さて。ここらへんから「神域のため撮影禁止」の立て札が現れる。写真は残念ながらここまでだ。

 昔は,湯殿山で見聞きしたことは「語るなかれ 聞くなかれ」と云われ,女人禁制の厳しい戒律の山であった。現代にあっても写真は残念ながら撮ることは出来ない。

 しかたない。ボクって日光東照宮の見ざる言わざる聞かざるみないな人だし。右の写真みたいにネ。でも,文章で説明するくらいはいいですよね・・・なんてったって,この科学至上主義の現代ですから。

 芭蕉と門弟の曽良が「奥の細道」の旅に出たのが元禄二年(1689年)の春のことだった。芭蕉四十六歳の時。そして,羽黒に入ったのが 六月三日だった。

 "涼しさやほの三か月の羽黒山"

 芭蕉達は,五日に羽黒権現に参拝し,断食して精進潔斎す。
 翌六日。月山に分け入った二人は,七合目までは馬に乗りそれ以降は歩いて登った。二人は頂上付近の角兵衛小屋(行者小屋)に一夜を過ごす。

 "雲の峰幾つ崩て月の山"

 「雲霧山気の中に氷雪を踏みて登ること八里,さらに日月行道の雲関に入るかと怪しまれ,息絶え身凍えて,頂上に至れば日没して月顕はる」

 石段をしばらく登って,沢にむかって下っていくと,せせらぎの音が聞こえて来,そして広々とした空間が現れた。
 すぐ右に古びた板葺きの建物と小さなお祓い所。その間には観光バスのオジイサン達と白装束の集団(もちろんスカラー波とは何の関係もない)。皆,板葺きの建物で靴と靴下を脱いでいる。さっそく,ボクタチも裸足になって,立っていた神社の人に一人500円づつ渡す。
 そして,目前のお祓い所へ。宮司さんは,まず人型の紙(形代)と小さなお札をくれる。そして,ボクタチ二人に祝詞をあげてくれた。さっきの観光老人グループはまとめてだったのに,ボクタチ二人だけのためにだ。有り難いことじゃ。
 「お札は持っていてください。形代は,身体を拭いてそこの川に流してください」とのこと。かくて,穢れがスッキリなくなって,さわやかになっちゃったボクタチは,木の門をくぐった。そこは,両側が岩の狭い道。裸足に石畳がとても心地よい。ここにも「撮影禁止」の立て札がある。道は左にカーブして,目の前に赤茶色の巨大な岩が現れた!

 「・・・」 息を呑む光景。

帰ってきたみけねこサクランボ隊 その5 湯殿山神社

 この巨石こそが湯殿山神社そのものなのである。ここには社殿はない。巨大な赤茶色の石は内部から吹き出す温泉で,赤く輝き,そしてほのかに蒸気を発していた。
 古代の人が湯殿山を分け入ってこの巨石に出会った時,いかほどか驚き,そして神意を感じたことであろうか。死から再生。そう,湯殿山神社は誕生のシンボルでもある。

 右側の小さな小屋(神社の詰め所?)の前にいた神社の人が「岩の前にある鏡の前で拝んでください」ボクタチは,厳かな気分で二礼二拍手一礼す。

 巨石の左側には階段状に上れる場所がある。先に上ったジーサマ集団が降りるのを待って,ボクタチも青竹の手すりにつかまって登りだした。見た目では温泉がコンコンと流れていていかにも滑りそうに見えたが,さすがは裸足。大丈夫!しかし,時々熱い温泉が足を洗う。うぁっつー!巨石の裏側の先はすぐに行き止まり。そこは石碑が並び,ここでまた手を合わせる。
 後で知ったことでは,遙かに見ゆる滝を拝むのだと云う。


 巨石を降りたボクタチは,下にあった木のバケツに足をつっこみ,授与所を通り過ぎ,よく分からないままに左手奥にあるご先祖の礼拝所へ。うーん?そして,戻る時に気がついた。お札所でご先祖礼拝三点セットを売っていたのでした。
 その代わりに,授与所でお神籤を買う。ボクは末吉。彼女は奇跡の大吉だった。

 絶対,ここのお神籤って当たりそうなのに・・・ワーン!

 7日。芭蕉と曽良は湯殿山に下った。
 「山中の微細,行者の方式として他言することを禁ず。よって筆をとどめてしるさず」
 当時,湯殿山には厳しい戒律があり,参詣者は山中の様子を他言してはならなかったのである。
 ただ,芭蕉はこう短冊に記した。

 "語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな"

 湯殿山の深い谷間の熱湯が噴き出すご神体を見た時の芭蕉の感動が生き生きと表現されている。
 曽良は,こう句を書いた。

 "湯殿山 銭ふむ道の なみだかな"

 当時,湯殿山では落としたものを拾ってはいけないという戒律があり,落としたお金も散らばっていたのであろう。
 ご神体を後にして,里の南谷まで下った二人は一日身体を休ませた。

 "有難や 雪をかほらす 南谷”

 翌10日。芭蕉と曽良は鶴岡へ向かって出立していった。

 ボクタチは,老人観光グループの最後尾にやや遅れて,駐車場まで戻った。
 彼女が言った。「仙人沢まで歩こうか」「ええー」と(足弱の)ボク。
 バスが待っていてくれたが,ボクタチは先に行ってくれと手を振った。

 ジーンジーンとセミが鳴いている。わき水が道路脇を流れ,道ばたには小さな白い花と黄色い花が咲き,野いちごが成っている。小さな滝が蕩々と音を立てているのを見て,赤い橋を渡る。
 専用バスが登っていって降りていった。静かだ...。

歩いて降りてみようか

野いちご どんどん降りる 小さな滝 赤い橋

  15分ほどで,仙人沢へ。ちょっと休憩しよう。ここで,大きな団子(300円)と玉こんにゃく(100円)を買った。うまい!特に,この団子。今まで食べた中で最高じゃないか。団子がこんなに旨い食い物だったなんて。

団子と玉こんにゃく

玉こんにゃくのトラックが来た 鳥居に別れを告げる

  最後に大鳥居を振り返って,パルパル号へ。
  15時00分。出発。有料道路を下り,そのまま国道112号へ左折。そこはすぐに月山第一トンネル。来る時は,ここから入れば良かったんだよなぁ。

  お土産用のサクランボの売り場を探しながら国道112号線をず〜と走ったが,道沿いには小さな直売所しかない。本場と云えど,美箱入りの粒が揃ったのってなかなか売ってないんですよね〜。ついにチェリーランドを通り過ぎちゃった。「よし。駅の方に行ってみよう」市街地への看板を見てJAのガソリンスタンドがある交差点を右折してみた。
  "JAあぐり"という地元向けらしきスーパー発見。ここで,あった!ありました。チェリーランドより断然安くて,いいやつ。生産者の名前も書いてある。たぶん,地元の人が遠い親戚とかに買って送る店かもね。ここで,"ふるふるさくらんぼ"が一個310円(しかも箱詰めかチェリーランドでは三個1,000円)で売っていたのがショックだったけど,これでお土産はオーケーだ。 (特別にマップをつけましたゾ→)

 16時00分。寒河江ICより山形自動車道へ。今夜泊まる磐梯熱海温泉へは,今までの行程の約半分近くを戻る計算ととなる。
 17時00分。国見SAより(17時着で予約しといた)今夜のホテルへ一応連絡。「予定よりちょっと遅れます...」そこでも,サクランボが売っていた。結構,安いぞよ。──とよく見たら,箱に一列しか並んでないアゲ底なのだ。

 長くなった陽も,次第に傾いてきた。村田JCTより磐越自動車道を右へ。一区画だけ走り,磐梯熱海インターを降りたのは,17時50分頃になってしまった。そこから約5分ほど走って磐梯熱海の市街へ。
 これが,かの有名なる磐梯熱海か。うーん。なんだかやけに狭い道だし。ゴミゴミしてるしさ。なんか,思っていたのとチョット違うぞ。
 ボクタチのホテルどこかなぁ・・・

 

帰ってきたみけねこサクランボ隊 その6 磐梯熱海

金蘭荘 花山

ロビー

 18時00分。"金蘭荘 花山"到着。ふぅ〜。
 なかなか立派な建物じゃありませんか。なにせ,”るるぶ”に写真入りで載っていたたった二軒の宿のうちの一軒ですからね(下の地図では,左端の13番なのです)。

 パルパル号を駐車場にとめて,さっそくチェックイン。お客はそんなにいないようだ。ちゃんと入口には『サクランボ隊様』と名前が書いてある。オッホン!
 部屋は三階の”花びら”。こんな→感じだ。窓の外を見ると,崖が切り立っており,その下を五百川が流れている。あれが露天風呂の建物だ。
 「おこしやす」さっそく仲居さんがやってきた。夕ご飯は部屋食で19時30分からですって。うん──それまで時間があるし,ちょっと温泉街を散歩して来るのにいいかな。まだ明るいうちにね。
 仲居さんは,お茶をトクトクと入れてくれた。「貴重品はくれぐれも金庫に入れておいてください(アタシが誘惑されちゃうから」)・・・あーい。

窓から露天を望む

 18時30分。外へ。温泉街の散策は,また実にもって味わい深いものだ(普通はね)...ホテルの前は,”萩姫ふれあい通り”。ここがたぶん,温泉の中心街だと思うんですけど・・・タブン。

 《磐梯熱海温泉》

 その名の由来は,源頼朝の奥州藤原氏征伐後に安積郡の領主となった伊東氏が,出身地の熱海を懐かしんで(「お宮の松はなくても,温泉が出るところなんか熱海にクリソツじゃね〜か」と言って)勝手につけちゃったということである。
 さらに,伝説はこう伝える。
 南北朝時代になって,京都の公卿の美しい娘・萩姫が重い病に苦しんでいたところ,ある夜。枕元に不動明王が現れた。「都を去る東北方。数えて五百本目の川岸に霊泉あり。それに浸れば全快するかもヨ」
 それを聞いた萩姫は,元気百倍。侍女の雪枝一人を伴って遙か東北の地へ旅だった。ある時は大河の激流を泳ぎ切り,ある時は襲い来る大蛇や虎と戦い,そしてついに五百本目の川にたどり着いたのであった。
 そして,川岸に湧き出る湯に入ったところ,病もアッサリ全快。なお,ここに来るまでの艱難辛苦に耐え抜いた萩姫の身体は,雪枝共々,鍛え上げられた強靱な鋼のような肉体となっていたと伝えられるので,磐梯熱海の温泉のお陰で病気が治ったのかどうかは定かでない。この萩姫伝説が磐梯熱海温泉を「美人の湯」として有名にしたのである。

 ──キョロキョロ。それにしても,見事なまでに温泉街の情緒のカケラもない道じゃありませんか。

萩姫ふれあい通りは...

熱海芸妓屋組合はお休みかな?

やせこけた猫がいた

豪華ホテル・河鹿荘

 とりあえず,左に行ってみることにした。この道。やっぱりどうにも普通の生活道路っぽい。ごくフツーの住宅がポツリポツリだ。しかしよーく見ると,道沿いには,倒産したスナック。倒産した飲み屋。倒産したホテルが何軒か。
 それが,過去の繁栄の証をかすかに主張し続けていた──。

 トコトコトコトコ。10分くらいブラブラ歩くと,とりあえずの(地図で調べておいた)目的地であるセブンイレブンへ。ここで,旅館で呑むジュースやポテトチップを買いこむ。なんてったって,ホテルの冷蔵庫のジュースって高いですからね〜。
 これ以上歩いても仕方ないみたいだ。ボクタチは”萩姫ふれあい通り”を宿へ戻ったのである。

誰もおらんの〜 内湯にもおらんの〜
露天にもおらんの〜 無色透明にてカルキ臭あるの〜

 さて,ユウゴハンまでにはまだ間がある。ここはやっぱ温泉に入ってくるのが吉でしょう!
 なにせ,この旅館を選んだ最大の理由は,「五百川沿いの庭園に浮かぶ露天風呂『屋形の湯』」ですからね〜。池の中に浮かぶ神秘の屋形船型露天。
 まさに人智を超えた幻想的なる体験となるであろう・・・

 まずは,内湯の大浴場”花の季”。だーれもいない。空いとるの〜。結構なことである。ボクは,一人だけで入るのが空きなのさ。男湯の場合にはね。この時間,泊まっている連中は,大宴会の真っ盛りだと思われた。
 そして,深淵なる大宇宙の神秘たる"屋形の湯"へ。うーん。雰囲気は,まずまずであると評価はするものの,内部がタイル張りであるのがやや興ざめ。なお,屋形湯船の外の水は,ポチャリと手を入れてみたが池の水だった。

 それより問題は泉質である。日本で最も多いアルカリ性単純泉(やっぱり,よくあるように「美人の湯」がウリ)であるのはまあいいですケド・・・この塩素臭。よくある最近の日帰り入浴施設と変わらない。かすかなヌルヌル感はありましたけどね。でも,相当循環させていると見た!
 歴史ある著名な温泉地も,人気ある観光地では源泉をくみ上げすぎて枯れつつある温泉地も多いと聞く。きっと,ここもそうなのかなぁ。

 萩姫の病気もこれじゃ治らない。

金蘭荘 花山

福島県郡山市熱海町熱海4-321
024-984-2111
単純泉,48.4度 花の季(内1)・尾形の湯(露天1)
うまくにゃ〜い

 19時30分。『コンコン』 「メシでございますだ〜」
 いよいよユウゴハンの時間である!フランス料理もおよろしいですけど,こういった温泉旅館に泊まって(滅多に食べられない)豪華な和食を食べるのも悪くないんですのよ。ゴキュリ。
 しかし,並んだ料理はこの通り。普通は最後に出て来ると思われたご飯とみそ汁まで一気に来ちゃった。──暖かい刺身と冷たい天ぷら。人肌の刺身を食べながら,ボクタチはシブーイ顔をした。モズクも旨くないし。これ,典型的な宴会料理である。宴会だと,これで酒を飲んでれば,料理の味など分からないって料理。
 見た目はそう悪いわけじゃないんですけど,「うーん」「ううーん」ボクタチは,喉の奥でグルルルルとうなった。
 それに,ボクタチのプランは『宿かり名人』なんだけど,確かビールかジュースが付くはずなんだよなぁ・・・絶対の自信はないですけど,おかしいなぁ?まあ,一人14,000円の『宿かり名人』の客じゃ,つかなくてもしょうがないですよね?

 ・・・しばらく待っていたが,デザートも来そうもなかったので,「フツーは,スイカやミカンのひとカケラくらい出るもんだ」とブツブツ文句を言いながら,また外へ。

暗い道じゃ

足湯は有り難し

磐梯熱海駅

温泉神社

 「こういう温泉地は,浴衣姿で温泉街をそぞろ歩くのが楽しいんだよ」とボク。「みんなゾロゾロ歩いているに違いないよ」
 今度は,駅の方へ向かって歩き出すことにした。実に暗い道である。浴衣姿どころか,外を歩いている人も殆どいない。途中,ホテル○の玄関前で足湯があったので,靴を抜いて足をチャップンと入れてみた。むむ。なかなか気持ちいいや。
 15分くらいで,『磐梯熱海温泉駅』へ。ここにはタクシーが何台も待っていた,しかし,人影なし!駅の中で暇そうなタクシーの運ちゃんに温泉神社の場所を教えてもらった。「温泉神社?そこ真っ直ぐ行って,消防団の詰め所の隣だよ」
 教えてもらった通り,暗〜い小さな神社があった。柏手を打つ。さて,もう行くところもないし,宿に戻りますか。
 
 磐梯熱海温泉。すぐ近くに観光地があるわけでもなし。温泉街を歩いて楽しめるわけでもなし。泉質も大したことなし。ただ,旅館の中で宴会をするしかないんじゃ,この温泉観光地の地盤沈下の有様も頷ける。
 
 部屋に戻ると,布団が敷いてあった。そして,テーブルの上にメロン発見。ワーイ!しかもプリンスじゃありませんぞ。アミメロンじゃ。すっかりご機嫌になったボクタチ。
 この旅館。たぶん仲居さんはこの階を一人でやっている感じである。忘れられたビールの恨みは深いものの,やっぱり大変ですよね。人件費削減の波はこんなところにも押し寄せている。布団で寝ころんでいるうちに一時間くらい寝ちゃった。フラフラ起き出したボクタチは,もう一回,あのカルキ温泉に入って寝る。

 窓ガラスには,ぞっとするほど小さな白い羽虫が集まっていた。

 

帰ってきたみけねこサクランボ隊 その7 三度目の正直

パイプ椅子にて朝食

ンマンマ

 7時30分。起床。いい天気だ。とりあえず(もったいないので),寝起きの温泉へ。
 それにしても,悲しきくらいにカルキっぽいことよのう・・・

  そして,フロント階にある朝食会場へ。ユウゴハンより美味しいような気がしたが,公共の宿みたいな雰囲気濃厚な会場なのだ。 悪く言えば,会議室でパイプ椅子。豪華とはほど遠い。いや。贅沢を言ってはいけない。なにせ,ボクタチは1,4000円のお客ですしね。宿泊客達の大部分は案の定,宴会客らしい。ウハウハーと騒ぎながら,朝からビールを飲んでいる。
 ロビー前のあんまり売る気なさそうな朝市(でも,結構安かったです)を見て,出発だ。
 
 8時45分。パルパル号は,「チュチュー」と身体を震わせると,ノコノコ走りだした。仲居さん達が「また来てね〜」の赤い布を持って手を振ってくれた。

 夕べ,全てを知り尽くした(つもりの)温泉街を通過して,「中の沢熱海線」を北上す。目的地はとりあえず”母成高原あやめ園”であったが,入場料500円というのに恐れをなして,さらにもうちょっと北上。有料道路の母成グリーンラインの料金所手前にある”郡山石筵ふれあい牧場”へ到着だ。ここらへんって,あんまり観光地ってないんですもの・・・

 9時10分。まだ少し早いね・・・地図によると,この先に銚子ケ滝というトコがあるみたいだ。時間つぶしに行ってみよっと。しかーし。グルグルと狭い道を登って行ってみたものの,七ツ滝って,車を降りて30分も山羊のように険しい道を歩いて行かなくちゃならないみたいだった。「キケン」と看板もあるし。そこには,今にも向かわんとする命知らずの若者達がいたが,ストックを持ち,植村直己もマッサオの重装備である。こりゃ,いけませんなぁ。あきらめの早いボクタチは,またグルグル降りる。

郡山石筵ふれあい牧場 よくある池 よくあるおもしろ自転車
よくあるシッポ ふれあい広場 鯉が襲ってきた

 9時30分。開園時間だ。期待薄のボクタチは,ため息をつきながら大枚・入園料310円を払って入場す。
 まずはデッカイ池があるのう。こういう牧場にはありがちだ。お土産屋さんがあってソフトクリームを売っている。これもどこの牧場にもありがちだ。乗馬体験コーナー。ありがちだ。順路を歩いていくと,面白自転車があった。これもありがちなのだ。「一時間たったの700円くらいで乗れるんだよね〜」と,ボクは知ったかぶりしてよ〜く見ると,無料ですって。うーん。どうしましょう?タダより安いものはないですし。・・・と,係のおばさんが「どうぞ。空いているうちに。池の周りのコースを二周してきてください」との言葉に,ボクタチは,ウカウカと横二人乗り型自転車を借りることにした。

 よしっ。発進!きこきこきこー。おおっ。快適だ。面白自転車は風のようにノタノタ走る。ボクが漕ぐ係。彼女がハンドルを操作する係。実に不公平だ・・・コースを半周して,上り坂となった。彼女は,軽やかにハンドルをクルクルと回した。ボクはダイナモのようにグルグル足を回した。ひぬ〜。フナフナフナ〜
ようやく一周して面白自転車貸出し場の前へ。「もう一周いく?」「よしとく〜」
 そして,ロバを見,食い意地のはった羊を見,アヒルと信じられないほど足の速いとウサギを見る。子供に毎日追いまくられていますからなぁ。足が鍛えられているのだ。こういった牧場のウサギは,なべて俊足である。最後に池の前で,例のソフトクリーム(すっごく濃かった)を食べていたら,飢えきった鯉がバシャバシャ集まってきた。コーンをみんな喰われてしまった。

 10時30分。出発!もう寄るトコもない。高速代がとてもモッタイナイと考えたボクタチは,一般道をまっすぐ帰ることにした。

 我が家に着いたのは,15時半頃だったかなぁ。思ったより早かった。
 かくして,三度目のサクランボ隊の冒険はお仕舞いとなりました。それでは,また来年──サクランボ隊の冒険でお逢いできますように...

 

帰ってきたみけねこサクランボ隊 完

 

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