ドイツの貧しい少年ハインリッヒ・シュリーマンは,ホメロスの”イリアス”を読んで,子供心に古代ギリシャの英雄達に強い印象を受けたのであった。その後,彼は長じて貿易商として大成功をすることになる。そして,中年を過ぎ,彼は自問自答した。「自分は裕福になった。しかし,このまま仕事に明け暮れて,老いぼれて死んでしまっていいのだろうか?」彼は,自分の全財産を処分し,子供の頃のロマンを信じて,執念の発掘作業に取りかかったのである。そして・・・1876年。ここミケーネの円形墳墓Aから,黄金のマスクを発見した。「アガメムノンのマスクだ!」彼の目の前に,アガメムノン,アキレウス,オデュッセウス,ヘクトル・・・子供の頃,夢見た英雄達の姿が,まざまざと現れたのであった。
 紀元前20世紀頃,ギリシャ北西地域から南下したミケーネ人は,クレタ島を中心とするミノア文明の影響を受け,紀元前16世紀〜紀元前13世紀にかけて,ミケーネ文化の最盛期を花開かせた。トロイヤ戦争が起きたのは,紀元前12世紀頃とされる。そして,1150年頃,ミケーネは,突如,歴史から消えることになる。原因は不明だが,ドリア人の進入とも海の民族の侵略とも言われる。その後,長い間,ギリシャの文明の暗黒時代は続いたが,紀元前750年頃からアテネ・スパルタなどの都市国家が成立し,ホメロスの叙事詩が書かれるのである。

 

 ギリシャの都市国家・スパルタにヘレネという美女がいました。ギリシャ神話時代の話ですので,ホメロスの”イリアス”などの記録には,スリーサイズなどは記されていませんでしたが,胸がドーンと出て,腰がキュ〜とくびれたギリシャ一の美女だったのは間違いありません。
 しかも,性格も良く,スパルタ王の一人娘という好物件。もちろん,ギリシャ中の王子や英雄達が「われこそをおムコに」と結婚を申し込んだのです。そのため,求婚者達の国々の 仲までもが悪くなってしまい,やむなく,彼らは次のような誓いを立てることとなりました。

  (1) ヘレネが決めた相手には遺恨を抱かない。
  (2) ヘレネの危機には,求婚者達は一致団結して事に当たること。

 ──そして,ヘレネは,ミケーネ王アガメムノンの弟メテラオスをおムコに選び,メテラオスはスパルタの王となって,二人は仲良く幸せに暮らしたのでした。

 ある時,トロイヤの王子パリスがスパルタに表敬訪問にやって来ました。パリスを暖かく歓迎したお人好しのメテラオスでしたが,折悪しく急な仕事で,出張に出かけることとなり,パリスの接待を妻のヘレネに任せたのですが,これが彼の大失敗となりました。
 パリスは,ヘレネに一目惚れし,アフロディーテの魔力でヘレネを魅了して,なんたることか!人妻であるヘレネをトロイヤに連れ帰ってしまったのです。

 さて,ビジネスをうまくまとめて,ご機嫌で帰ってきたメテラオスでしたが,このことを知って愕然とした彼は,兄貴のアガメムノンに相談することにしました。

 「兄さん。ヘレネを取り戻したいんだけど,トロイヤは強大な大国だ。スパルタの力だけで出来るかどうか・・・」
 野心溢れるアガメムノンは,ニンマリ笑いました。これは,ギリシャにおける大国ミケーネの影響力をさらに高める好機ではないだろうか──?
 「わしに良い考えがあるぞよ。弟よ。ヘレネが結婚するときの取り決めがあっただろう?諺にもあったな。『トロイヤも,みんなで攻めれば怖くない』」

 かくして,アガメムノンは,各国に使いを送ったのです。そして,ギリシャ各国の軍勢がアガメムノンの元に続々と集結することになります。

 もちろん,非協力的な者もいました。例えば,ギリシャ一の知恵者と言われたイタカ王オデュッセウス。いばりんぼのアガメムノンに協力して,トロイヤに戦争をしかけるなんて,正気の沙汰じゃないと思ったのです。

 何度使いを送っても返事がな かったため,意外とマメなところのあるアガメムノンは,自ら,イタカの王宮を訪ねることにしたのでした。
 すると,オデュッセウスの妻ペネロペが泣きながらアガメムノンにすがって来ました。「わたくしの夫がキ印になっちゃったんです。どうしましょう。わ〜っ」
 ペネロペに案内されて,王宮の裏手の畑に行ったアガメムノンが見たものは,オデュッセウスまさにその人が,フルチンになって,「ウヒヒ」と笑いながら,畑に塩を撒 きながら,大きな牛に乗って,作物を踏み荒らしている真っ最中でした。
 「こりゃあ,とてもダメだ。キ印にしてもK点を超えている。あきらめよう」──さすがのアガメムノンも思いました。「奥さんには,いい精神科の医者でも紹介して・・・」
 しかし,その時でした。オデュッセウスとペネロペの幼い息子が「パパ〜」と言いながら牛の前に飛び出したのです。「どうどう」オデュッセウスは,あわてて牛を止めました。
 こうして,オデュッセウスは,気違いのフリをしていたのがバレてしまい,ギリシャ軍に参加するハメになったのです。

 また,ギリシャ最強の英雄と言われた将軍アキレウスがいました。彼は,ニンフのテティスの息子でしたが,アキレウスが赤ちゃんだったとき,過保護ママのテティスはアキレウスの踵を両手でもって,スティクスの川につけた ため,アキレウスは不死身になったとされます。アキレウスが参加しないギリシャ軍は,クリープを入れないコーヒーのようだと思った,違いの分かる男・アガメムノンは,アキレウスの屋敷を訪ねます。

 その頃,アキレウスは,女装して,お城の侍女達の中に混じって生活していました。息子がトロイヤ戦争に参加すれば,戦死してしまうことを予知の力で知っていたテティスは,息子を言いくるめてそうさせたのです。最初はイヤイヤだったアキレウスでしたが,女になり切っていると不思議なことに,次第に女の喜びに目覚めてしま い,「たくましい殿方と結婚して子供を生みたいわ」と考え出す始末。
 いかにいも,女っぽくなってしまいました。

 しかし,アガメムノンもさる者。アキレウスが女になったという噂を聞いた彼は,一計を案じたのです。

 ある日,お城に商人がやって来ました。「お美しいお嬢さん方」太った商人は,にこやかに宣言しました。
 「フォリフォリ・ミケーネ支店の出張販売でございます。美しいアクセサリーや,パリでも大流行のバック。新作ドレスなど,限定販売の品々を,今回は特別ご奉仕価格で提供いたしますぞ。ふぉっふぉっふぉっ」
 「キャー!あのフォリフォリよ!」「この銀のネックレス,かわいい!」「このバック,ステキ!二つ買っちゃおっ」女達は,大騒ぎです。
 そんな中,ただ一人,興味なさそうにしている大柄な女がいました。商人は,その女の喉仏がふくらみ,胸がヘコんでいることに注目したのです。
 「貴殿は,アキレウス殿だな!」商人は眼光鋭く叫びました。「ある時は片目の運転手。またある時はフォリフォリの支店長。しかして,その実体はっ!わしは,ミケーネ国王アガメムノンであるっ 」

 ・・・かくして,やはりアキレウスも,トロイヤ戦争に参加することになるのです。

 こうして,全ギリシャの名だたる王・英雄達が集い,小アジアに向かって船出したのでした。総数実に10万人,船舶数は千隻という大軍勢でした。
 一方,トロイヤ側は軍勢5万と劣勢ではありましたが,トロイヤの城壁は堅牢であり,また,老齢ではありながら名君プリアモス王と,トロイヤ最高の英雄である王子ヘクトル(あのパリス王子のお兄さんです)が守り,ギリシャ対トロイヤの戦いは長い長いものとなるのです。

 さて,ここで神々の状況を記したいと思います。もちろん,神々ですから,このトロイヤ戦争の結末は,長い戦いの末にギリシャ側の勝利で終わるのは分かってはいました。しかし,戦況の一局一局には興味津々で見守っていたのです。自分の子孫が戦争に参加している神もいましたし,自分の贔屓の英雄がいる神もいましたからね。
 当然,パリスに怨みを持つヘラとアテナはギリシャ贔屓でしたし,アフロディーテはトロイヤ贔屓でした。神々の王であるゼウスは立場上中立でしたが,どちらかというと,トロイヤ王プリアモスの公平で人徳に優れた心を愛していたので,どちらかと言うとトロイヤ側に同情的でした。神々も,ついつい,手を出してしまい,自分の神官をアガメムノンにコケにされてカンカンに怒ったアポロンが,矢でギリシャ軍兵を乱射する事件もありましたし,可愛いニンフに懇願されたゼウスがこっそりトロイヤ軍に手を貸し,妻のヘラにこっぴどく叱られる事件もありました。

 一度などは,アフロディーテに頼まれた軍神アレスがトロイヤ側について大暴れしましたが,ギリシャ側を味方したアテナに破れ,(兵1万人に相当する)大声で泣きながら逃げ出すというシーンもありました。ギリシャ神話では,戦い(守り)の女神であると共に知恵の女神でもあるアテナと,戦(攻撃)の神アレスとの戦いでは,必ずアテナが勝つということになっているのです。泣きながら逃げ出すとは,神にしては情けない話ですが,これがローマ神話になると,アレスはマーズ(火星)として,神々の世界で重要な地位を占めることになります。

 こうして,何年も何年も,ギリシャとトロイヤの戦いは続きましたが,概ねギリシャ軍優位の状況で推移しました。


 なかなか陥落しないトロイヤを攻めあぐんだギリシャ軍は,オデュッセウスの立案で,大軍でトロイヤの城壁を囲む一方,トロイヤの同盟国を襲い,トロイヤを孤立させる戦略をとることとします。これは,優れた作戦でした。こうして,小アジアの小国は次々とギリシャ軍に制圧され,略奪した物資でギリシャ軍が潤うに反比例し,トロイヤの立場は次第に苦しくなっていくことになりました。
 そうした中,ある事件が起こりました。
 捕虜の娘の扱いに関して,アガメムノンとアキレウスの仲がついに決裂してしまったのです。もともと,アガメムノンはいばりんぼうで,普段から面白くないと思っていたアキレウスでしたが,ついに,今までの貯まりに貯まった怒りが爆発してしまい,「もう,貴様になんか従えるか!パ〜ロ〜ン」と叫ぶと,自分の精鋭を率いて,本隊から離脱してしまうのです。

 これを好機と,トロイヤ側は,籠城策を捨て,果敢な積極策へと戦略を変更することとなります。さっそく,城から打って出たトロイヤ軍は,ギリシャ軍と対峙しました。
 トロイヤ軍の中から,パリスは進み出ます。「我こそは,プリアモス王の息子,パリス。いざ,尋常に勝負〜」格好をつけたのは良かったのですが,そこに,まなじりを上げて,挑んできたのは,妻ヘレネを寝取られたスパルタ王メネラオス。
 パリスは,メネラオスの形相に,すっかり怖ろしくなってしまい,戦車をクルリとUターンさせると,すごい勢いで陣に逃げ帰ってしまったのです。パリスは美男子なのですが,戦力は,中の上くらいがいいところ・・・
 その日の戦闘が終わり,夜になると,パリスの兄ヘクトルが,パリスの陣を訪ねます。ヘクトルは,パリスの言動に心底から怒っていたのですが,パリスに対して,穏やかな声でこう言います。「パリスよ。この戦争の原因は,そもそもお前がヘレネを強奪してきたことにある。そして,ギリシャ軍との戦いで多くのトロイヤの勇士が傷つき,倒れていった。お前は,そんな勇士達に顔向けが出来るのか?」パリスが答えます。「ヘクトル兄さん。あなたはいつも正しい。分かりました。明日こそは,メテラオスと決着をつけましょう。もし私が死んだらヘレネをメテラオスに返してやって下さい」──軽いところがあるパリスでしたが,心底は,男なのです。

 そして,次の日。パリスは,兄との約束通り,メテラオスに勝負を挑みました。パリスの投げた槍は,メテラオスの盾に跳ね返され,そして怒りに燃えるメテラオスの投げた必殺の槍は,パリスの盾をうち砕いて,パリスに瀕死の重傷を与えます。パリスのとどめをさそうと駆け寄ったメテラオスでしたが,そこには,パリスの姿はどこにもありませんでした。黄金のリンゴ事件でパリスを贔屓しているアフロディーテが,パリスをテレポートで助け,ホイミの呪文で傷を癒してくれたのでした。さすがに,このアフロディーテの行動は,勝負に注目していた神々から非難をあびることになります。

 二つの軍の対決は続き,ギリシャ軍は善戦しましたが,やはりアキレウスの抜けた穴は大きく,ついには総大将アガメムノンまでが負傷して,海岸の船まで退却することとなります。
 「もうだめだ」アガメムノンが弱音をはきました。「どうしたらいいだろう?イテテテテ」
 オデュッセウスが答えます。「やはり,アキレウスの力は必要です。不死身のアキレウスもそうですが,アキレウスの兵も,モビルスーツみたいに強いですから。なんとかしてアキレウスをなだめて戦線に復帰してもらうしかありますまい」
 アガメムノンは決意しました。「クソー。やむを得ん。あのニッサンを建て直したゴーン社長も,『明日飛躍するために,今日は腰をかがめるのだ』と言ったな。よし。謝罪の使者をだそう。イテテテテ!」

 しかし,アキレウスは,「アガメムノンがケガをしただと?あのジジイがか。フフ・・・ザマーミロ」と言って,なんとしても腰を上げようとはしませんでした。

 そこで,オデュッセウスは,アキレウスの親友であるパトロクロスを再度使者に立てます。
「アキレウス。せめて,君の鎧と部下だけでも貸してくれないか。頼む・・・」パトロクロスの目は潤みます。
「パトロクロス」アキレウスの目も潤んでいました。「他ならぬ君の頼みだ。よろしい。鎧と部下は貸そう。それで,一時はトロイヤ軍を砦まで追い払うことは出来よう。しかし,決して深追いはしてはならないよ」
 
 アキレウスの鎧を着たパトロクロスと,アキレウスの部下が戦場に到着すると,トロイヤ軍は浮き足立ちました。そして,激戦が始まります。トロイヤの名のある武将もパトロクロスに討たれ,ついにトロイヤ軍は砦に向かって敗走を始めます。パトロクロスは,ついついアキレウスとの約束を忘れて,トロイヤ軍を追撃してしまいます。
 そこに立ちはだかったのが,トロイヤ軍の最強の勇士ヘクトルでした。そして,二人の激しい戦いが始まります。しかし,やはりパトロクロスは,力及ばす,ヘクトルの槍に胸を刺し抜かれ,絶命してしまいました。
 その頃の戦場のしきたりとして,倒した敵の鎧を剥ぎ取って戦利品とし,死体をさらしものにするのはあたりまえのことでした。ヘクトルは,パトロクロスから鎧を剥ぎ取って,死体がアキレウスではないのを確認します。これは,戦っているうちに,なんとなく別人ではないかと感じていたことだったのです。
 
 アキレウスの元に,パトロクロス戦死の報が伝わると,アキレウスは狂ったようになってしまいました。すぐにでも復讐のために出陣しようとしたアキレウスの前に,母親のテティスが現れ,「予言の時が近づいています。あなたがヘクトルを倒すと,次はあなたが死ななければならないのです。行ってはいけません」とアキレウスをとどめようとしました。
 しかし,アキレウスは,「パトロクロスが死んだのは,私の責任です。ヘクトルを倒せば,私は死んでもかまわない」
 テティスは,嘆息し,鍛冶の神ヘパイトスに頼んで作っておいてもらった新しい鎧をアキレウスに渡します。この鎧は,前の鎧にも増して優れた鋼鉄の鎧でした。
 
 一方,ヘクトルも死を予感していました。次は必ず自分の前にアキレウスが現れるに違いない・・・。ヘクトルは,陣から,トロイヤの城塞の中にある自分の家にいったん戻ります。
 家には,妻のアンドロマケが待っていました。アンドロマケは,いつ戦場から夫が帰ってきてもいいように,お風呂のお湯をいつも沸かしておいているのです。
 「ただいま〜」アンドロマケは,喜びに顔を輝かせて夫を迎えました。「お帰りなさい。あなた。今晩は一晩いられるのかしら」「ああ。そうしよう」
 ヘクトルは,アンドロマケの心づくしのお風呂で身体を清めました。「あなた。あまり危険な戦いは避けてくださいね」「命がけで戦う兵士たちの前で,総司令官たる私が臆病なまねは出来ないのだ。しかし,出来るだけ命を大切にすることにしよう。お前のためにもね」
 表情には出しませんでしたが,なぜか不吉な予感を抱きながら,二人の最後の夜は更けてゆきました。
 
 翌朝,アキレウスが先頭に立ったギリシャ軍の総攻撃が始まりました。恐るべきアキレウスの猛攻にトロイヤ軍はあっと言う間に蹴散らされ,トロイヤの城塞まで押し戻されます。しかし,ヘクトルは踏みとどまりました。最後の一兵までもが城塞に逃げ込むまでは,戻るわけにはいかない。そして,アキレウスが敗残のトロイヤ兵を追って現れると,ヘクトルはその前に立ち塞がったのでした。

「その鎧は,私がパトロクロスに貸したものだな」アキレウスが叫びます。
「アキレウスよ。お前は,この戦いでトロイヤ人を何人殺したか?」ヘクトルが返します。
「分からぬ。数え切れぬほどだ。そして,トロイヤが滅びるまでそれは続くだろう」
「そうはさせぬ」

 いつの間にか,トロイヤ軍の兵は一兵たりとも残っていませんでした。全て死んだか,城塞に逃げ延びたかでした。トロイヤ王プリアモスが城壁の上から,ヘクトルに城塞に退くよう必死で叫びました。しかし,もはや間に合わなかったのです。
 ヘクトルとアキレウスの戦いは,長く激しいものでした。最初は互角でしたが,やはり不死身の身体と優秀な鎧を持つアキレウスに,ヘクトルは押されだし,トロイヤの城塞を戦いながら後退し,三度も回ることになります。
 そして,ついに,アキレウスの槍はヘクトルの首を貫きました。どぅと倒れたヘクトルは,苦しい息の下で,アキレウスにこう言いました。「完全に私の負けだ。しかし,私の死体は,老いた父プリアモス王と妻に返してやってくれまいか」
 アキレウスは答えます。「お前は,パトロクロスを殺し,鎧を剥いだな。お前の死体は,お前の父と妻の前で八つ裂きにしてやろう」
 
 そして,アキレウスは,ヘクトルの身体を戦車につないで,城壁の回りをグルグル回りだします。トロイヤの市民は,それを見たプリアモス王は悲嘆の余りに気絶してしまいます。

 ──その晩,プリアモス王は,暗闇に紛れて,単身,城壁から抜けだし,アキレウスの陣に忍び込みました。老いた父親は,ヘクトルの遺体を返してくれるようアキレウスに懇願しようと思ったのです。プリアモス王は,不思議にも歩哨に誰何されず,アキレウスのテントに無事忍び込むことが出来ました。これは,老いたプリアモス王を哀れんだゼウスが,そっと,伝令神ヘルメスを護衛につけたからです。
 老父は,アキレウスの前にひざまずき,膨大な黄金の替わりに,ヘクトルを返してくれるよう懇願します。
 直情型のアキレウスも,これにはさすがに心を打たれました。「お立ちください。プリアモス王よ。黄金など不要です。ヘクトルはお返ししましょう。彼は,強くてすばらしい生涯最高の敵でしたぞ・・・」
 翌朝,きれいに清められたヘクトルの遺骸は,白い美しい服を着せられ,トロイヤ城塞に送られたのでした。

 
 もうひとつだけ。少し時間は遡ります。ヘクトルの妻アンドロマケは,トロイヤの家の居間で夫の無事を祈りながら,編み物をしていました。しかし,編み棒はコトンと床に落ちます。その瞬間,アンドロマケは,夫の死を感じたのでした。アンドロマケは冥界の王ハデスに祈ります。「どうか,夫を3時間だけ生き返らせてください...」そして,ヘクトルは,3時間だけ妻と共にいたのでした。
 その後,ヘクトルは,また冥界へ戻っていきましたが,今度は一人でなかったのでした・・・。


 

 ヘクトルを失ったトロイヤ軍は,それでも,ギリシャ軍と幾多の戦いを行ったが,いよいよ敗色が強くなりました。
 しかし,「ヘクトルが死ねば,アキレウスも死ぬ」…その予言の通り,英雄アキレウスにもついに死の時が訪れるのです。

 トロイヤ軍を城壁に追いつめたアキレウスをめがけ,乱戦の中,パリスがヒュウと矢を撃ちました。しかし,その矢は,なんたることでしょうか。アキレウスのただ一つの弱点である踵を打ち抜いたのです。ギリシャ最強と歌われ,無敵の勇者であるアキレウスは,戦車から転げ落ち,そのまま絶命したのでした。
 そして,パリスにとっても運命は非情であり,アキレウスを討つという大殊勲を得たトロイヤの英雄パリスも,流れ矢によって,その戦いで死んでしまうのです。

──ヘクトル,アキレウス,パリスと英雄達が次々と死んでいく中,未だトロイヤは陥落しませんでした。ギリシャ優勢においても,トロイヤ軍の最後の砦であるトロイヤの城壁は強固であり,また,ギリシャ軍にも長年の戦いによる疲れが著しかったからです。
 そこで,軍師オデュッセウスは,最後の一計として,巨大な木馬を建造させます。これは高さはなんと十数メートルもあり,空洞の胴体には兵士300人が収容出来るという前代未聞の木馬でした。

 ある朝,トロイヤの城壁から外を見たトロイヤの人々は,びっくりしました。一夜にして,ギリシャ軍の陣地は消えてなくなり,浜辺にあった艦船も一隻も残っていませんでした。そして,城壁の前には,巨大が木馬があったのです。
 偵察に出たトロイヤの一隊は,自分が脱走兵だと主張する一人のみすぼらしいギリシャ兵をプリアモス王の元につれてきた。

  「いったい,ギリシャ軍に何が起こったのだ」
  「長い戦いに倦み疲れ,長い間留守にしていた本国の情勢が不安になり,一時,ギリシャに撤退したのでございます」
  「では,あの木馬は,なにかな?」
  「女神アテナの神託によるものと聞いております。あの木馬を置いておけば,必ずギリシャは,戻ってきてトロイヤを攻め落とせるとの神託でございます。ただし,木馬をトロイヤ城壁内に運ばれると,それがかなえられなくなるとのことでしたので,運べないように,あのように巨大に作ったのでございます ...」

 そして,トロイヤの人々は,巨大な木馬を城壁内に運び込んでしまったのです。もちろん,それに反対する人もいたのですが,その声は勝利に酔う圧倒的な市民によりかき消されたのでした。
 
 そして,夜が来ました。ヘレネは,木馬のところまで来て,ギリシャの将兵の妻の声をまねて,知りうる限りの名前を呼びかけてみました。その声を聞いたギリシャの将兵は,懐かしい妻の声に,思わず,木馬から出ようとしましたが,それを察知したオデュッセウスによって引き留められたのです。
 
 何事も起こらないことに安心したヘレネが去って数時間後。勝利を祝って疲れ果てたトロイヤの人々は,すっかり酔いつぶれていました。
 木馬の腹の一部が開き,ギリシャ兵がぞくぞくと降りてきたのです。そして,城門を開くと,船を戻して城壁に近づいてきた本隊に合図しました。
 それからのトロイヤは,地獄絵図のようでした。血に飢えたギリシャ兵は,酔いつぶれて,ろくに抵抗できないトロイヤ兵をうち倒し,市民や女子供まで虐殺しました。プリアモス王も,ヘレネも・・・その中で命を失ったのです。
 そして,美しいトロイヤの町は,完全に破壊去れ尽くされ,トロイヤ王国は歴史から消え去ったのでした。

 
 後日談として,ミケーネに凱旋したアガメムノン王は,長い不在の間に,従兄弟と妻に国を乗っ取られており,そうとも知らずに,帰国して王宮のお風呂に入って,シャツを着ようとモゾモゾしている アガメムノンは,妻に刺し殺されちゃったのでした。 
 ギリシャ軍に攻め落とされたダルタニス王国(トロイヤ王家の親戚)の王子アエネアスは,トロイヤの最後の戦いの時に,炎上するトロイヤから逃げ延びることのできた数少ない一人でしたが,イタリアに逃れて,後のローマ帝国の礎を築くことになります。


ミケーネ遺跡の王宮より見下ろす

 
 さて,この時のギリシャ側の常軌を逸した破壊と殺戮の行為は,神々を怒らせることとなりました。さて,トロイヤ戦争の話は,これでお仕舞いとなりますが,このお話の続きは,”
オデュッセイア”にて 少しだけ──。

 

みけねこパルテノン隊より


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