不定期日記より。2006年7月8日(土)にお出かけしたこと...

 

 

  2006年7月9日(日) 上

営業時間 通年
入場料 無料
住 所 茨城県城県水戸市松本町13-19
029-224-1111(水戸市観光協会)
交 通 JR水戸駅からバス15分、
末広町三丁目下車徒歩1分
常磐自動車道・水戸ICから15分
駐車場 有料(普通車1時間400円)30台

 格 ええい。静まれ、静まれーい。この紋所が目に入らぬか!
 助 ここに在す御方をどなたと心得る。おそれ多くも先の副将軍、水戸光圀公に在らせられるぞ。
 格 一同の者、御老公の御前である。頭が高い!控えい控えい控えおろうっ!

 一度は平伏する悪の一同であるが、悪事の証拠を突きつけられ言い逃れ出来ないと知るや、「こうなりゃ野郎ども。構わねぇ。やっ、やっちまえ!」と黄門一行に襲いかかるのだが、ザコキャラの悲しさ。助さんと格さんにケチョンケチョンにやられるのである。 たまには、黄門一行がやられちゃった方が面白いといつも思うのだ...
 それにしても、先の台詞はよく覚えているものの、どちらが助さんでどちらが格さんだったか、悩んでしまった。一話に必ず一回はお風呂に入って裸体をさらすお新(由美かおる) はもちろん、風車の弥七やうっかり八兵衛と比べてさえも、存在感が非常に薄いのが助さんと格さんなのである。

商店街駐車場から右手へ

大悲山保和院桂岸寺

 国道118号の信号から入ってすぐの末広町商店街の無料駐車場が空いていた(ラッキー!)ので、こちらに車を駐めて歩いていくことにした。ここは、商店街で買い物をすれば1時間以内であれば駐車可と書いてあった。

 駐車場からすぐに大きな門が現れ、門の奥には「大悲山保和院桂岸寺」(別名:二十三夜尊)があった。ただ今工事中らしく、ブルーシートに覆われている。
 門から入った左側が、かなり広い有料駐車場。”水戸のあじさいまつり”の時期はさぞ混んでいたのだろうが、幸いそれは6月いっぱいで終わっていた。もし、その最中だったら、たぶん、手前の商店街の無料駐車場に駐めることも出来なかっただろう。

 本日は、今にも雨が降り出しそうな曇天。雨の日の紫陽花は実にいいものだが、実際、見に行く分には、雨など降られちゃ困るのである。

 

2006年7月16日(日) 中

 「保和苑」は、第二代水戸藩藩主・徳川光圀が「大悲山保和院桂岸寺」の庭を「保和園」と名付けたのが始まり。昭和の御代となって、管理が水戸市に移管され「保和苑」となり、 整備されて今の姿となった。

常磐共有墓地

水戸烈士の墓

 「大悲山保和院桂岸寺」から左。有料駐車場の奥は、共同墓地「常磐共有墓地」であった。ここに、格さんのお墓がある。名前は安積澹泊(通称、覚兵衛)。 覚さんが格さんに変化したものだろう。彼は、光圀が主導し、幕末に至るまで藩財政を疲弊させる一因(光圀は、かなりの経済オンチだったのだ)となった「大日本史」編纂での中心人物である。
 本物の格さんは、葵の印籠を取り出して、「控えい控えい控えおろー」と叫ばず、越後の縮緬問屋のご隠居の全国漫遊のお供(だいたい、水戸黄門は藩内は少し歩いたかも知れない けど、せいぜいそんなところ)もしなかったのである。
 クンクンがいたので、格さんのお墓はパスして、せめて入口から写真をパチリ。仏教界のゼニゲバ主義にうんざりした光圀が、宗教色を一掃したのが、この常磐共有墓地であり、実に簡素。この写真は、時代もかなり下って、維新志士のお墓である。 花立さえないというのも、なんだか寂しいですね。

 「保和苑」は──こっち、「桂岸寺」の裏手から右側に広がる。この街中の狭い路地が交差した一角にあるとは信じられない!!!ほど、広大で見事な日本庭園となっている。 少し歩いてみよう・・・。

 

2006年7月21日(金) 下

 紫陽花は、そろそろ終わりかけだ。もう少し早くくれば良かったかな?でも、見物客ラッシュ状態よりも、数組の訪問客がのんびり歩き回っている この閑散とした風情もなかなかいいものだ。

  小さな遊園スペースがあったので、クンクンはここで少し遊ぶことに決めた(本人も「シュー」とか言ってるし)。
 ちょっとした滑り台、ブランコ・・・これだけあれば、充分。ディズニーランドとに出かけて、「ヒィヒィハァハァ」言いながら並んでいるよりも、今のクンクンにとっては十二分に楽しい場所 なのである。

 曇天であまりいい写真は撮れなかったけど・・・
 またいつか、ここに来てみたいな。

 帰り道、クンクンに何が楽しかったか聞いてみた。
 「かいだんっ!」

 「かいだんっ!」とは、たぶん、滑り台の上のブラブラ揺れる渡り板のことだと思う。

 


パルパルのお気に入り」へ戻る